マガジンに入れてもらえたことで
考えてみた。
以前も他の方に自分の投稿を紹介してもらった事がある。(その時は何もできていなかったはず)
率直に『嬉しい!』という事に尽きる。
それしかない。ありがたい(^人^)
〜私の気持ち〜
まず紹介をされるという事に慣れていない。
それは私の根底にずーっとあるのかもしれない。
人前に出るのも苦手、話すのも苦手
今はだいぶ変わった。
思えば幼少期から見つかると恥ずかしいのに見つけてもらいたいという天邪鬼な子供だったと思う。
思い出したが私はよく母親に天邪鬼と言われていた。
どんな天邪鬼だったのか記憶に残っているエピソードなどは思い当たらない。
私はちゃんと今までお礼が言えていただろうか?
今は果たして言えているのだろうか?
その気持ちは、その言葉は本当にその人たちに届いていたのだろうか?
見つけてもらえるということは本当にありがたいし嬉しいことだ。
ただその後どうして良いのかわからないのだ。
どこまで行っても自分に自信がないから
これが本心だろう。
こんな言葉を書かれても何を言っているのかわからないと思う方がほとんどだと思うのだけれど
世界はありがとうで成り立っている。
仕事もプライベートも親子関係も
物に囲まれている
ご飯が食べられる
服を着ている。
道がある。
これは私の知らないところで全て人や動物や植物が関わっている。
私は深く掘り下げれば誉めてもらうことや認めてもらえることに抵抗があるようだし、どちらかと言われればサポートの方がしっくりくる場所で、そこならなんとなく思うようにできる。
もともとが常にダメ元なのだ(笑!
最近やっと自分が自分である事を認めて来たというか、(今頃⁉︎)誉められたりすることへの感謝の気持ちが謙遜でなくすんなりと自分が自分を許せるというか…
自分に良かったね!って第三者的に声をかけられる気持ちになったというか、まったくややこしい事だ。
嬉しいというのは本心だ。それは間違いない♪
小さい時の大きな期待から逃げてしまうと言う悪い習慣というか、期待が大きすぎてやらなくなったというか、今になってはその時どんな思いだったかなんて思い出せない。思い出せないというか思い出したくないのが正解だと思う。
100点が取れないとか従兄弟がどうとか近所の子がどうとかなんか嫌だったなーっていうのは思い出す。明らかに勉強したくないと思ったのは中学1年生の2学期。決められた塾に行かされる。行きたくなくてもやめられないからサボる。サボることがよくないことは果てしなくわかっていた。何がよくないのか?行っているようで行っていないという嘘を自分が知っていだからだ。サボっているのは自分しかわからない。
考えたら自分が行きたいと言って行った塾はない。
全く贅沢な話しだ。塾に行きたくてもいけない人だっている中、行かせてもらっていて行かないのだ。。。
今回マガジンに入れてもらえたことで、改めて自分の気持ちについて考えることができた。
【褒められる】ということが
長年の習慣?蓄積?体験?環境?からそうなったのか?素直に入ってこなくなってしまっていたのだと思う。
せっかく褒めてもらっているのに
せっかく嬉しいのに
わーい❗️って手放しになれない気持ち?(嬉しいのに心が晴れ晴れしていない原因)を追求することができた。
そこと向き合えた♪
これは大きい!ので書き留める♪
今回のこれはお礼のお手紙である。
『ありがとう』は短いけれど
いろんな想いが詰まってる。
ありがとうを伝えるのにこんなに言葉が並ぶのだ。
全てを凝縮した『5文字』が届きますように。
紹介してくれたマガジンを運営しているクリエイターさんはこちらです💁♀️
↑これを書いた時はリンクを貼ったのですが
ちょっとご迷惑だったかなと思い消しました。
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