見出し画像

真面目に生きることだけが取り柄だった私がなぜインドに来たのか。 〜『頑張る』って何だろう〜

ナマステ!インドの撮影会社、Saptam International(サプタムインターナショナル)の日本人です!
noteを初めて三日目。ギリギリ三日坊主を名乗れるまでやってきました。今日も今日とてサプタムは日本人インターン生・日本人スタッフを探しております。

会社のホームページはこちら↓

今日は題名の通り、『真面目に生きることだけが取り柄だった私がなぜインドに来たのか』についてお話ししようと思います。ちょっと個人的な話になります。ふーんと流し読みしていただけたら幸いです!



頑張る大学生活、疲れる日々。

大学入学とともに親元を離れ、一人暮らしを始めた私は、今まで通り、真面目に生きてきました。授業には休まず通い(自分の中で休むという概念がなかった)、将来が不安だからといって教職も受け、そのおかげで土曜日も大学に通い、残った時間は一人暮らしの生計を立てるために終電ギリギリまでアルバイトをする日々。アルバイトがない日は、21時まで大学で勉強しているなんてこともありました。(一コマの予習に8時間かかることも珍しくない学部・学科・専攻でした。)単位に追われ、金銭的ストレスに追われ、しまいには就活にも追われることに。そこが踏ん張りどころやろという声も聞こえてくるような気もしますが、今思えば当時の私、頑張り過ぎていたと思う。『頑張る』ってことをただただ美化していた自分がいました。


頑張り過ぎた結果、ついに壊れる。

そんな『頑張る』を続けていた私には、色々な声が届いてしまうことが多々ありました。文系で、大学内では偏差値の高くない学部。学内では特に、私が通っていた学部・学科を卑下する人も少なくありませんでした。中には自虐的に話し続ける人も。そんな声を聞き続けるうちに、何かがプツンと切れてしまいました。

『こんなにも頑張っているのに。』と。

それまでの私の周りには、お互いを認めたり、高め合うような声がけをする人が多く、幼馴染も「お前は頑張りすぎだから、たまには弱音吐くために帰ってこい。」とか、「いつでも電話してこいよ。」と声をかけてくれる人ばかりでした。(あ、ちなみに男子の幼馴染に囲まれて育ちました。)高校の友達も「まじすごいよね、あんた!」とか「尊敬するわぁ。」と声をかけ、かけられる、そんな存在でした。お互い戦っているフィールドが違って、フィールドが一緒だとしても条件が違って、頑張り自体は比べるものでもないし、批判するものでもない。そんな環境で生まれ育った私は、そんなものは考慮に入れない競合社会に飛び込んでしまい、びっくりしてしまったのです。もちろん、元々現実主義ではあったので、負けを悟ることも小さい時から知っていました(元々チームスポーツをバリバリやっていました)が、一度も認め合おうとしないと言う環境は初めてでした。

度々つけられる、その小さな傷を無視して走り続けてしまった結果、急に涙が止まらなくなったのです。立ち止まりたいけど、プライドが許さない、そんな自分も嫌でした。全てが嫌になった、けれど、周りの目を気にして走るふりをしなければならない。そんなの壊れるに決まっている。


頑張る生活から抜け出す。

ついに壊れてしまった私、1ヶ月ほど色々な人に話をしましたし、現実逃避もしました。そうすると、自然に外に目が向きました。もういっそのこと国外逃亡してしまえ、と。ぶっとんでる〜。
私の周りは留学をする人が少なくなかったので、その思考になることは別に珍しくありません。今や留学、海外インターン、ワーホリとたくさんの選択肢がありますからね、国外逃亡する道(言い方)はたくさんあるわけです。
とりあえず、早々に自分で敷いてしまったレールだけを進むのはやめよう、迂回してみよう、となったわけです。いきなりのルート変更。


あなたは頑張っている、絶対できる。 by インド人

文系とはいえ、元々英語が大の苦手だった私、やっぱり英語圏がいいよな、と言う単純な考え。でも、ワーホリは厳しい現実があるみたいだし、それまで一生懸命頑張ってきたヒンディー語も忘れたくなかった。国外逃亡方法について悩む私の隣から聞こえてきたのは、「インドも英語圏やん。」と言う友達のゴリゴリの関西弁。そうやん!忘れてたわ!!(エセ)
紆余曲折あって、結局インドの海外インターンを探すことに。
ネットで検索してもなかなかヒットせず、しまいには英語で探してみたり、先輩の力に縋ってみたり、いろいろな手段を試しました。結局ここだ!と思ったサプタムを見つけたのはXでした。周りの大人には「世代。時代。」と言われます。笑
もちろん、Xで探すというのも先輩の助言でした。元々Xを使ったことなかった私が、海外インターンを探すためだけに使い始めたのです。頑張ることに疲れたはずの人間がなぜそんなに頑張れたのか。それは、アルバイト先であるインドカレー屋のインド人スタッフの一言に背中を押されたから。

『あなたは頑張ってる。英語もヒンディー語もできる。あなたができない意味、私分からない。絶対できる。あなたなら見つかる。インド行けるよ。』

そうはっきりと目を見て言われたのです。おそらくちゃんとした根拠はない発言ですが、海外インターン先がなかなか見つからない、と悲しそうな顔で出勤した私にインド人スタッフがかけた魔法の言葉でした。やっぱり、日本ではインドに対してまだまだネガティブなイメージがあるけれど、日本で頑張っているインド人はこんなにもピュアで、良い人なんだ。そんな人の住む国を『ヤバい』の三文字で終わらせてはいけない。ちゃんと理解したい。そう思った瞬間でした。
そこからは『頑張る』のみ。得意ですからね、『頑張る』のは。

結果、まさかのXでサプタムを見つけ、現在に至るわけです。


終わりに

私がインドに飛び出してきた理由についてつらつらと語ってきましたが、どうでしたか?私も過去を振り返りながらこのブログを書いてきましたが、やっぱり自分は人に恵まれているな、と思いました。インドに来る前からたくさんの人と対話をして、自分の人生を見つめ、考え、決断をしてきたな、と。これもインドパワーのうちの一つなのでしょうか。
これからも、私は色々な人と関わり、優しい世界を生きていきたいなと、そう思いました。


いいなと思ったら応援しよう!