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積極的共感という視点。
新年始まりましたね。
サラリーマンの方も、そうでない方も、新年あけましておめでとうございます。
9連休。サラリーマンの鏡よろしく、初日に風邪をひいて、しっかり連休中に完治して、月曜日を迎えました。
さて、風邪を引きながら、朦朧としながら、気づきを得たこと。「あぁ、わかるよ」という視点を、どれだけ持てるかということ。相手を疑うのではなく、積極的に共感する。名付けて積極的共感。それが全てなのだと。
疑うというと、人を疑ったことなどありませんという方もおられるかもしれませんが、私なんかはすぐに疑ってしまう人間です。例えば、若い社員が寝坊などすると、「遊んで、夜更かしでもしたんだろう」と考える。怒りはしなくとも「若者は明日のことなど考えずに遊び、寝坊するものだ」などと、そこはかとなく決めつけてしまう。(決めつけた上で、自分の寛容さでもって許す、という態度こそが、自分にとっての困った人を無限に出現させてしまう原因なのですが、これはまた別の話。)
寝坊の例における私の場合、そこに「夜更かし」という視点はあっても、「寝れない」という視点がありません。もし、悩みなどがあり寝れない夜を過ごしていたら。明日のことを考えず友達とワイワイやったんだろうという想像は消し飛び、急に、心細い夜、暗い部屋の布団の中で身を縮める若者の姿が目に浮かびます。
どんな可能性も存在する。だとすれば、たとえ悪気などがなくとも、「◯◯は××だ」と決めつけること自体が、真実でないものに力を与えることになりかねない行為なのです。
私達は宇宙からこの地球に生まれつくときに、それぞれの色眼鏡をかけてやってきます。色眼鏡、巷ではエゴとも呼ばれるものですが、実態は色眼鏡。色眼鏡以上の機能はありません。真っ新な世界に、眼鏡それぞれの色が付いた状態で、私達は世界を眺めています。
私が若者の寝坊を夜遊びのせい、と、瞬時に思ってしまうのも、私のかけている色眼鏡でつく色のせいです。
だけど、色眼鏡は無数にあり、何色にもなり得る。その知識があれば、青く見えている世界も、赤く見えることがあるかもしれない、と、思いを馳せることができるのです。それが共感。しかも、人間は自分の見えている色こそが「正しい色」と主張してしまいます。その正しさを旗印に殺し合い、焦土となるまで互いを焼き尽くしてしまう生き物です。
世界に平和をもたらすには、より積極的に、別の色に見えるかもしれない可能性に共感する姿勢が大事なのです。それが、積極的共感です。
目の前に、自分にとっての困った事実が現れ、色眼鏡で見た景色で判断する。その、いわばオートメーションともいえる反応に「待った」をかける。自分が判断した色とは別の色があるのではないかと、積極的に想像し、共感し、思いを巡らせる。例えいま、その色に全く見えなかったとしても。
この行動こそが、日々の平穏、スムーズな日常の運行、願望の実現、ひいては世界平和につながるポイントなのではないかと思うのです。
(若者の寝坊が、思いがけず世界平和の話になった。ピース。)