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【よしなしごと】ワクワクがわからない

つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

徒然草-吉田兼好

徒然草の冒頭部分、昔、高校の古文の時間に暗記したので、まだそらで言えます。今でも暗記させられるのでしょうかね?

【よしなしごと】シリーズは、それこそ、つまらない、たわいもないことを書くことにします。

宇宙の法則、スピリチュアル界隈で良く言われることの一つに「自分のワクワクに従う」というものがあります。自分の心が踊るような、あっ、イイな!と思うような、そんな感情を感じてみたら迷わず従ってみたらよい、と。

ワクワク、であったかどうかはさておき、私も比較的、良くも悪くも、自分が『こう』と決めたものに突き進む人生を送ってきました。ワクワクという楽しげな感覚というより、盲目的な思い込みみたいなものに近い感じですけれど、人生の選択において、大勢の意見や一般論、他人のアドバイスを素直に聞き入れないことの多かった人間という自覚があります。

ただ、件の『ワクワク』とは、そんな自分の退路を絶つような悲壮感のある選択ではなく、もっと軽やかに、それこそ楽しく思い浮かぶものなのではないかと思うのですが、なんか下手なんですよね。これが。

こと、仕事に置き換えればどうか。ワクワクというか「あ、これしておこうかな?」くらいのライトな思い付きや、目の前に現れるタスクを一生懸命にこなしているだけなのであって、音符マーク付きのワクワク♫に従っているのかというと、そんな心踊るというようなものでもない気がしている。

もはや「ワクワク」が私の中でモンスター化。

ワクワクを追い求め過ぎて、ついには愛憎もつれ、可愛さ余って憎さ100倍。想い過ぎて嫌いになるヤツ。
ワクワクとはこういうものである、みたいな。固定観念というか。ワクワクとは、これやりたいーーーーー‼︎‼︎‼︎と、迷いなく、雷を打たれるように直感するものであり、それが魂の使命に繋がるものであり、という劇的なものである、と期待し、それ以外のものは『ワクワクにあらず』とジャッジしてきた。全く、エゴの独壇場を許してきたのである。

ただ最近。
うっすらとワクワクめいたものが心に浮かびつつあるんですよね。

エゴの第一声としては「めんどくせーーーーー」であり、やらない方がいい理由や、やっても上手くいかないというような頭の声がしていて、これまでは、悩む間もなく不採用にしてきたことです。面倒に巻き込まれるようなことはやめましょう、と。

しかしながら、2025年になり。

昨年までのエゴの声がすっかり小さいのである。

その程度の引き留めだったら、ワクワクに負けちゃいますよ。ワクワクの方が優勢になっちゃいますよ。めんどくさいんじゃなかったんですか。という感じ。やっぱり、こういうことひとつとっても、2025年のエネルギーの変化を感じざるを得ないですね。

ワクワクがわからないキャラじゃなかったのかよぉ。人並みに、ワクワクし始めてんのかよぉ。

エゴの断末魔でしょうか。

あやしうこそものぐるほしけれ。

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