あれはみな、金神様がもらわれたのである
私はかまわない。あれはみな、金神様がもらわれたのであるから、持って帰っても私はかまわない。
金光教教典
415頁
青山金右衛門の伝え
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おはようございます。
「法者(祈祷者)が来て、お供え物などをことごとく持ち帰った」ことについてのお言葉だと記されています。
日柄方角を見ることが大切だと説く人たち(法者、祈祷者、山伏)は、教祖様が日柄方角は見なくてもよいと説くことに対して、「一介の百姓が」と怒りました。
教祖様のお広前に来て、御神前を荒らし、お供え物を持ち帰ることが度々ありました。
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お供え物は神様に対するものです。
それは今でも変わりませんし、信心の大切な中身となっています。
このお道では、お供えする人の名前は見えないようにお供えします。お供えしたからには、それは神様のものだからです。
「わたしがお供えした」という心が残ると、それはお供えにはなりません。