信心も同じこと
綿の一筋は弱い物であるが、三つ四つ合わせてよりをかければ縫い糸になる。糸を織って木綿にする。信心も同じこと。
金光教教典
393頁
山本定次郎の伝え
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おはようございます。
教祖様は換金作物として綿を栽培しておられました。今日・明日は、その綿をもっての御教えを頂きます。
綿の一筋は目にも見えないような細いもので、そう長くもありません。綿の一筋から糸ができ、その糸から木綿ができます。
信心も同じだとおっしゃいます。
一つ一つに祈りを込める、丁寧の行うなど、そのこと自体は大したことがないかも知れませんが、それが寄り合わさり、積み重なって、人もわが身も助かり、神様が喜ばれる確かな信心になっていきます。
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ご祈念する時、姿勢は大切です。背筋を伸ばし、拝詞集は胸の前(わたしの感覚では、首のすぐ下あたり)と教えられています。
が、拝詞集をお腹のあたり、腿の上あたりに持ち、前かがみでご祈念してしまうことが時々あります。
背筋を伸ばし、拝詞集を胸のあたりに持つことは、ある程度の体力が必要ですから、年齢と共に背筋・腰骨を伸ばすのは辛くなります。
が、そんなことでも「綿の一筋」と思って気をつけるようにしています。
腰骨を立てるということは、体の姿勢としても、信心の進め方・生き方としても大切なことだと思います。
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