西の方の者が供えた
西の方の者が供えた。
これは、虫がついて、とても当たり前の取り実はないと思い、神様にお願いしたところ、当たり前より余分にできたから、それだけお供えすると申して持って参ったのである。
金光教教典
321頁
佐藤範雄
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おはようございます。
明治11年秋、米俵3三俵がお供えしてあったので、佐藤範雄先生が「どこの者がお供えしましたか」とおたずね申しあげた時のお言葉が上のお言葉です。
このことについて佐藤範雄先生は、「教祖は、信者がお供え物をしても、だれが供えたということを語りたまわず」とおっしゃっています。
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お供えに「わたしがお供えした」「おれがお供えした」という恩がける気持ちが入ると、神様はお受け取りになりません。
この方は、とても当たり前に収穫できないと思っていたのに当たり前より余分に収穫できたのがとてもありがたく、それを神様のおかげと心底思われたのだと思います。
その気持ちを神様も教祖様もお受け取りになりました。
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