今より金神頼むと心を改め
その方の家にはご無礼しておる。家は南向き、戌亥(いぬ・い)に蔵、西に長屋、東に立ち上がり(がけ)があり、家の上に折れ回りになっておる。この折れ回り角に大便所あり、この陰で不浄の洗い物をしておる。この方角へ、この度、後産(あとざん)を三か所へ埋めかえておる。
とにかく、暦を見て明き方という金神の留守をねろうておるが、例えにも、隣三軒は京都におる子にかえなという。一の隣でも、留守をねろうておると、つまらんようなことができる。
今より金神頼むと心を改め、今より信心すれば、病人全快いたす
金光教教典
361頁
山本定次郎の伝え
1
おはようございます。
元治元年の春、山本定次郎さんの母、志摩さんは弟の伊平を出産しました。産後、志摩さんは血の道で足が立たないようになったので、父の徳次郎さんがが教祖様の御広前へお参りしました。
その時のお言葉です。
「隣三軒は京都におる子にかえな」とは、遠くの親戚より近くの他人が大切であるという意味の諺(ことわざ)です。
どういうおつもりで教祖様がこの諺を出されたのか分かりません(お分かりの方、ご教示ください)。日頃大切に思っている神々様より、今問題になっている金神様こそ大切に思えということでしょうか。
「一の隣でも・・・」とは、日頃親しくしている隣の家でも、その留守を狙って家に上がり込んだり、土地を使ったりしたら、隣の人が帰った来た時、咎(とが)められることになるという意味です。
それは、金神様でも同じ、明き方をねらうのは、神様のお留守中に勝手なことをするのと同じだとおっしゃいます。
そして、金神様(神様)を恐れずにお願いする心へと改まり、信心をするならば、病人は全快すると言われました。
その通り、病人は全快しました。
しかし、その後、山本家は信心することがありませんでした。邪神である金神を信心する、金神狸が憑(つ)いていると近所の人々に噂されるのを恐れたからでした。