疑いを放れて敬いの尊い人が、広大なおかげを受ける
疑いを放れて敬いの尊い人が、広大なおかげを受ける。おかげを受けられるのは、みな、めいめいの心である。
金光教教典
378頁
山本定次郎の伝え
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おはようございます。
病気・事故が命に関わるような時ほど、神様にお願いしていても「大丈夫か」「治るか」という疑いが生まれてきます。
そんな時わたしは、「絶対信」を思います。初代教会長・西村道雄先生が教えてくださいました。「絶体におかげを頂く信心」です。
教祖様が、祈れば神様に通じる道を開いてくださり、西村道雄先生がそれを「絶対信」として実証してくださいました。
教祖様が祈っていてくださる、西村道雄先生が祈っていてくださると思って、ご祈念しています。