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信心参りは結構である

信心参りは結構である。

お前のような人もあり、また、金神の障りがあるというて断りに参る人もある。金神の祟り障りというて恐れるだけではどうもならん。

せっかく参ったほどなら、此方の話すことを聞いて、おかげを受けるのはどういうわけであるということを知らねば、信心するようにもなられまい。

 金光教教典
 397頁
 山本定次郎の伝え
 63

おはようございます。

「おかげを受けるのはどういうわけであるということを知」るとは、神様とはどういうものか、信心とはどういうことか、おかげとはなにかなど、色々と聞かせていただいて、自分の心にインプットするということです。

いつもいつもインプットしていると、それが「おかげ」というアウトプットになって現れてきます。

セレンディピティ(serendipity)という言葉があります。「思いがけない幸運に出会うこと」と理解しています。誰もが経験あることです。
このセレンディピティは、インプットしている人にたくさん訪れるような気がします。

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信心参りは、インプットでありますが、同時にそれがおかげそのものであるというアウトプットでもあります。

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