負け惜しみをすな
仮にも負け惜しみをすな。少しにても一番先に勘弁した者が勝ちで、神徳を受けた信者なり。
金光教教典
331頁
島村八太郎
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おはようございます。
負け惜しみとは、負けや失敗を認めないことです。または、その時の言い訳や屁理屈のことを言います。
勘弁するとは弁(わきま)えるということで、神様のおかげを見に受けたことを指します。
おかげを受けた人を見て、「あの人は恵まれたいたんだ」とか「たまたま運がよかったんだ」と言うのが負け惜しみです。
人のことをあれこれ言わず、毎日、少しずつでも神様に向かっていれば神徳を身に付けることができ、おかげを頂きます。
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今日は、月例祭に併せて布教功労者報徳祭をお仕えします。
こちらに来て25年。その間に、実はわたし、玉串の四垂(しで)を作ったことがありません。月例祭や宅祭、また葬儀など、四垂はたくさん使います。四垂の使い回しはしないことにしていますから、けっこうな量になります。
その四垂をずっと作ってくださっていた方があります。
どんなに助かってきたことかとお礼を申し上げずにはおれません。
今日の報徳祭ではそのお礼を申し上げます。
その方が亡くなって、そのあとを継いで四垂を作ってくださる方があります。
御用が受け継がれることは尊いです。