神様がお造りくだされた肉体は、神様を頼み祈りておかげをこうむる道理
この本源を知りており、病気その他の難儀な時に、天地の神様を頼むということは、道理の信心ではないか。諸道具にても、もと調えた人が、いたみた物を修繕しております。
この万物を見て悟り、神様がお造りくだされた肉体は、神様を頼み祈りておかげをこうむる道理でありましょう。
金光教教典
378頁
山本定次郎の伝え
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おはようございます。
先月23日夜、緊急搬送された男の方があります。いびき、意識障害、半身不随の書状が出ていました。くも膜下出血と脳出血でした。
この方のおかあさんが一部始終、その日の日付が変わっても、電話にてお届けをされました。
翌日24日、手術が行われました。11時間にわたる大手術でした。「手術は成功。あと医学に出来る事はない」とのことでした。お医者さんは最善を尽くしてくださったのでした。
このコロナの時期、すぐに救急車が来てくれて、すぐに入院できたこと。そのことも大きなおかげでした。
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このおかあさんも家族の人も、足がなくて容易に教会にお参りができません。それで、25日からこの方のお宅に行ってご祈念を始めることとしました。おかあさん、この方の奥さん、子供達と一緒にご祈念しました。皆さん、悲痛な面持ちでご祈念されました。
なんとか元気になってもらいたい、希望を持ってもらいたいと思って、ご祈念の前、あるいは後に、一口のお話をしました。
その時お話しした一つが、この御教えです。
「お医者さんにできることがなくても、神様が治してくださる」とわたしは申し上げました。
28日、家族が見舞いに行ったら、手を挙げて呼びかけに応えたとのことでした。その後、次第次第に動けるようになり、昨日は、リハビリ病院を探すまでになりました。
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この間、わたしは「絶対信、絶対信」と思っていました。
初代教会長が教えてくださった絶対信を、今こそ本当のものさせていただきたいと思って祈っていました。