ある信者が右の話を聞いて

ある信者が右の話を聞いて、「信心して、余分にできたら、それをみなお供えすると、自分で願って稲を作ったが、平年より少ないのでお供えすることができない」と参って話した。

 金光教教典
 321頁
 佐藤範雄
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おはようございます。

右の話とは、「お供え物とおかげは、つきものではないぞ」という御教えのことです。

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余分にできても、平年より少なくても、できるということは神様のおかげ、神様のお働きあってのことです。

平年より少なければたくさんのお供えはできないでしょうが、たとえ一掴みであってもそれをお供えして、「神様のおかげで今年もできました」とお礼を言えば、それが信心であろうと思います。

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