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神徳
尾道の宮永さんは、神徳をいただかれたが、しかし、いつもいつも貧乏で手もとは自由になれなんだのじゃ。
「金光様、神徳が売れるものなら売りとうございます」と言うておられるところへ、岡山の呉服屋さんが参詣せられた。
この呉服屋さんは、人徳をいただかれてのう、わずかな金からわずかの間に幾戸前も倉を建てられた人で、「おかげ様で金銭には不自由をいたしませぬが、神徳が金で買えるものならと思います」と言われた。
そこで、「宮永さんはいつも手もとが自由になりませぬと言うておられるのじゃから、宮永さん、買うと言う人があるが、神徳を売られんかなあ」と言うたら、滅相なと言われて手を振られました。
金光教教典
291頁
近藤藤守
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おはようございます。
神徳とは、人が信心によって神様からの信用を得、その徳をわが身に受けることです。
人はその信心に応じた神徳を身に付けています。その徳によって神様の御働きを頂きます。
平常心を頂くとはその一つです。。
神様の目で物事が見えてきたりということもあります。
信心は「晴れてよし 雨もまたよし」の心を頂くことであろうと思いますが、そのことが少しずつでもできていくのが神徳です。
*
数日前の深夜、雷雨でした。
短い時間でしたが、雨がすごかったです。生まれてはじめてという感じでした。
心が落ち着きませんでした。
まだまだです。