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倶楽部サピオセクシャル日記104:「くうねるあそぶ」のプライオリティに正解はあるか?今夜はあなたのリソースを整理してみるルーム

こんにちは、つよぽんです。

昨日2023年12月2日(土)のサピオセクシャル部屋の報告をしたいと思う。

タイトルは「くうねるあそぶ」のプライオリティに正解はあるか?今夜はあなたのリソースを整理してみるルーム。

僕が子どもの頃、日産セフィーロのテレビコマーシャルで井上陽水が出演していた。
そのCMのキャッチコピーが「くうねるあそぶ」だった。

僕は「くう」は字義通り「食べる」と捉えていたが、よしひこさんのイメージでは「お金を稼ぐ」という意味だった。
すなわち、「食う」は稼ぐ。
「寝る」は休息、身体を労る。
「遊ぶ」はそれ以外。

これら3つのリソースを1日24時間の中でどのように振り分けるか。
この振り分け方の違いがその人の個性であり、個人の人生を大きく左右しそうだ。

先週、「やりたいことをやれないのはなぜか?」を話し合う中で、時間やお金などのリソースの不足が原因でやれないこともあるのではないか?
そんな疑問が出た。
この話題をもう少し深堀りして話したい、という要望があったので、今回のテーマを設定した。

いろんな話をするなかで、マズローの欲求5段階説の「所属の欲求」の話になった。
そこで、よしひこさんからこんな質問があった。

「私は〇〇である」と自分自身を定義するとしたら、〇〇には何が入りますか?
よしひこさんは「物書き」、僕は「ファシリテーター」と答えた。
僕は「つよぽんさんは〇〇に何が入りますか?」と質問されて5秒ほど考えて仮ではあるが即答した。
やはりそこに僕の大切な何かがあるような気がする。
なので、いまこの文章を書いている途中でファシリテーションについて改めて調べていた。
なるほど、僕にとって、ファシリテーター、司会進行役であることが自分のアイデンティティなのだ。
人の発言を促すことが好きだから合点がいく。
ファシリテーターは、司会を行い、場を促進する人のことだ。

また、僕は人の役に立ちたい。
そして、人を喜ばせたい。
そういったことに自分の時間を割きたいのだ。

こんな言葉についても話題にのぼった。
ライスワーク(生活のために働くこと、ご飯を食べるために行う活動)
ライフワーク(天職・自分の好きなことを追い求める活動)

この文章をまとめるにあたって調べていたら、ライスワークでは「やりがい」を、ライフワークでは「生きがい」を、という言葉と出会った。

また、「ライフワークの行く先には、自分でも想像もつかなかった未来が待っている」と『キャリア未来地図の描き方』の著者が言っていて、この言葉を読んだら、なんだかワクワクしてきた。
また、仕事か趣味か、仕事か家庭か。
そういった「OR」で両者をつなぐのではなく、仕事も趣味も、仕事も家庭もという「AND」でつなぐという発想もあるのではないか、という考え方があることも知った。
仕事も趣味もうまくいく人生がある。
強くてしなやかなキャリアを作れる道がある。
色々と知ることができた。

ちなみに、19世紀末に活躍した画家アンリ・ルソーという女性がいる。
彼女は普段は公務員として働きながら日曜日には画家として活動していた。
彼女は独学で絵画のスキルを学び、ルーブル美術館に許可をもらって模写を繰り返した。
そして、最終的にはピカソやゴーギャンに認められるまでになった。
本業以外に人生をかけて追求する何かを持っていた彼女。
そのような人生に僕も憧れる。

今回の対話の中で「いまを生きる」ということも話題になった。
その時、「つよぽんは今だけが大切なの?」と質問された。
そこで答えたのは、過去の失敗に執着してしまう自分がいる。
だからあえて今に集中するようにしている。
また、将来こんなことをしてみたい、こんなことができるようになりたい、という夢のようなものを持っている。
そういった未来への希望を小脇に抱えながら今取り組むことを決めている。
そういう意味では今だけを生きているわけではない。
そんな答え方をした。
至極当たり前の回答だったが、質問されたことでそれらの気持ちを言語化する機会を持てたのは良かったなと思う。
要約すれば、過去も未来も大事ということ。
ちなみに、過去を語ることも大切にしているつもりだ。
過去の経験や出来事を語ることで、その過去の捉え方が変化するからだ。
それを「経験の記述が厚くなる」と九州大学の高松里先生は『ライフストーリーレビュー』のなかで言います。
過去を眺める、過去を語るということを僕は大事にしています。
さっきの言動と少し矛盾してしまうかもしれませんが、僕は「過去、現在、未来」という3つを大切にしています。

この文脈の中でだったか、詳細は覚えていないが、参加された方から
「私は自分がどこから来て、どこへ行くのか?」をいつも考えてしまう、という発言がありました。
それを僕はとても興味深く感じました。
そこで、みなさんの会話を聞きながら「自分はどこから来て、どこに行くのだろうか」を考えてみました。その結果、次のような言葉が浮かんできました。

「人前で話すのが恥ずかしい(過去、小学生の頃)から、「人前で話すのが快感」(いま)。そして,「人前で話すのが楽しいと思う人を増やす」(未来)。

はい。これが僕のライフストーリーの一端だなと思います。

また、「人生の迷子になること」についての話にもなった。
これも興味深いテーマだった。

なぜ迷子になるのだろうか?
それは正解を探すからだろうか。

こんな考え方がある。
それは、「選んだ答えを正解にすることが大切」ということ。
「選んだ答えを正解にしていく人生」に大きな喜びがあるのではないか。
これは脳科学者の中野信子さんが言っている言葉だ。
自分が選択した道を正解にしていく。
そのために努力していく。
人生に正解などなく、自分の選択した道を自分の頑張りによって正解にしていくしかない。
正解はみずから作るもの。
このような言葉は他にも言っている人は多い。
僕はどうもこの言葉に嫌悪感というか、うるさいなぁと思ってきた節があるのだが、今回、この文章を書いているあいだにこの言葉を少し受け入れてみてもいいような気持ちが芽生えつつある。
それがなぜなのかはわからない。
ただ、そのような心の微細な変化があったことはここに書き残しておきたいと思う。

自分が正解を選んだかどうかは死ぬまで分からない。
だから、ただ自分が正解だと思うほうを選べばいいのです。
正解を求めるクセを持っていると苦しくなるのではないかと思うのです。
自分の正解の基準を自分の気持ちと向き合いながら見つけていくことが大事なのです。
そして、その基準にのっとって選択する「自分」を肯定していくことです。

最後、あまりうまくまとめられていないけれど、いまの自分にとって大事なことはちりばめたつもりなので、これで終わりにしたいと思う。

またお会いして、お話しましょう。
ちなみに、毎週土曜か日曜の夜21時からクラブハウス(clubhouse)で部屋を開いています。
参加は無料です。
「倶楽部サピオセクシャル」で検索してみてください。

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