見出し画像

倶楽部サピオセクシャル日記127:鏡を見るより世界を見よ!今夜は「自己理解の呪い」を解くルーム

こんにちはつよぽんです。
クラブハウスのなかでは、ぽんさんと呼ばれています。

前回6月9日の倶楽部サピオセクシャル部屋のまとめをしていきます。

タイトルは
鏡を見るより世界を見よ!今夜は「自己理解の呪い」を解くルーム

「自己理解オタク」を自称するわたしは、今回のタイトルを読んでギクッとしたが、タイトルを作ったよしひこさんから「つよぽんは自己理解を楽しんでいるからいいと思うんですけどね」と言われ、「あ、そうなのね」と胸をなでおろした。

たしかに、わたし自身、自己理解に呪われているという認識はない。

ということは、よしひこさんの文脈によれば、自己理解に呪われている人もいるのだろう。

呪われているのだから、楽しくはないだろう。むしろ、苦しい感情を伴っているかもしれない。
なんなら、逃れたい感情かもしれない。

自己理解に苦しめられる……。  

それってなんだかつらくて「しんどい自己理解」だなぁ。

どうせなら「たのしい自己理解」がいい。

少なくとも「くるたのしい自己理解」がいい。

よしひこさんは自己理解を進めるよりも、自分を定義するほうが早い、とよく言う。

なので、インターネット上で同じ主張をしている人を探してみた。

すると、そこには次のような趣旨のことが書かれていた。

人は自分が定義した自分に必ずなる。
このメカニズムを知っておくだけで、自分を変える方法が見えてくる。

自分の性格や、現実を作り出しているもの。それは思考。

例えばある人が、自分に自信がなく、自分は頭が悪いと思っているとする。
するとその人はその思考ゆえに、みずから頭の悪さを作り出す。

このように、「自分が定義した自分」が実際に現実を作る。ではこの定義はどこからきているのか?

誰かに「お前は頭が悪いな」と言われた体験がきっかけかも知れないし、テストの点数が低かった事がきっかけかも知れない。

そこには過去の刷り込みやトラウマが大きく関係しているかもしれない。

いずれにしろ、この自分で描いた自分の定義を書き換えることで、実際に現実は軌道を変えて動いていく。

自分がなりたいと思うような理想の姿を自分自身のアイデンティティとして定義することで、本当に理想が叶いやすくなると考えられる。ある種の「思い込み」が自分自身に与える影響は非常に大きい。

自分を定義することは、言い換えれば「確固たる自分像」を持つこととも言える。

「自分は〇〇な人間だ」という強い思いがあれば、他人から何を言われても自分自身を信じることができるだろう。

自分を定義するには、まずは自分自身を知ることが大切になる。

現時点で自分のことが分からないと感じている場合には、マインドマップや自分史などを用いて、好き・嫌いや意志決定の軸などを明確にすることからはじめるといい。

ここで、唐突だが、わたしつよぽんが「自分を定義」してみたいと思う。

わたしの定義を読みながら、あなたも手元にある紙の切れ端にでも自分の定義をしてみてほしい。

なにしろ、実践することが自分を知る近道だからだ。
それに、実際にやってみると意外と楽しいからだ。
こういう風に考えるのは、わたしが自己理解オタクだからだろう。

【☆つよぽんの自己定義☆】
・弱そうに見えて、実は芯が強い
・弱い者を助ける(弱い者いじめをしない。当り前かもしれないが念のため)
・家族が好き、妻が大好き。
・どんな状況でもどうにかする(楽しむ、動じない)
・ユーモア精神が基本にある
・話題が豊富(そのために日夜ネタを仕入れるのに忙しい)
・人が好き
・一生青春
・発想力がある
・努力をいとわない
・物静かと騒がしいの両方の特性を持っている
・涙もろい
・言葉の語彙は多いほう(増やすための努力は生涯続ける所存)
・人の話を聞く、決めつけない
・可愛げがある愛されキャラ
・きれいめで可愛いものが好き
・よく喋る
・捨てられた仔犬臭がする。

まあ、これくらいにしといたる。
読むあなたに迷惑をかけるので。
というか、これ以上書いてもおそらくあなたにはなんのメリットもないのだろうから。

まだまだ定義を出す自信はある。

この無駄な(?)自信も自分の定義に入るかもしれない(笑)

自分の定義については、ここまで。

さて、今回、「自己共感」という言葉を初めて知った。
せっかくなので、少し調べてみた。

「自己共感」はNVC(非暴力コミュニケーション)のなかで出てくる概念だ。

NVCは、人と人をつなぐ新しいアプローチとして注目されているコミュニケーション手法である。

「自分の中で何が生じようが、それを受け止める」ということ。

自分の中で起きていることに気付き、自分の内側にジャッジなしに優しく触れていく。

呼吸や身体の感覚を頼りに、自分のいのちのエネルギーが何を求めているかに繋がり、それを味わう。 

ここまで書いていて、NVCの説明は、なにやら独特な表現なので分かりにくいと感じる。

こういう時は具体的なことを元に考えたほうが理解が進むので、私が最近感じたことを例にして以下に書いてみる。

先日、仕事関係の人から仕事の進め方について「あれでよかったの?」と言われた。

その瞬間、わたしはムカッと腹が立った。

この状況をNVCにあてはめるとどうなるだろう?

NVCの考え方を調べながら、よちよち歩きで言語化してみる。

まず、ムカッとしている自分の感情を受け止め、自分の感情に寄り添う。
そして、相手との相互理解、相互信頼を求めている、であろう自分の内側にあるニーズに気づいていく。

すなわち自分の心を見つめていく。

心の中を見つめたら、いくつもの感情が入り混じっていて混沌としているかもしれない。

だから、動揺することなく、冷静に見つめる必要がある。

これは言い換えれば、自分との対話だ。

他者とのやりとりで感情的になったときは、「自分との対話のチャンス」と捉えてみるのもいいかもしれない。

「感情的になるということは、自分のなかで大事なことがそこにあるからだよね」

そんなふうにやさしく自分に話しかけてみるといい。

そこから自分の気持ちを切り替え、自分のニーズを相手に伝えてみることを通して、相手と心を通わせる方法を探っていく。

「お互い気持ちよく仕事が出来たらと思っています。こないだのことでお話できたらと思うので、少しお時間もらえますか?」

こんなふうにムカッとした相手に伝えてみる。

これを「受容のループ」と言うらしい。

自分が何を大事にしたいか(自分のニーズ)という軸に立ち返ることによって、対立や葛藤を超えて実りのあるコミュニケーションをつくることができる。

このようにNVCでは考える。

一言で言うと、世界のあらゆる対立や葛藤には、「何が正しく、何が間違っているか」という二項対立の視点がある。

そして、「間違っているものは正されるべきだ」という固定観念が人を攻撃的にさせる。

二項対立だと、人をみる時に、この人は敵か味方かという見方をするようになる。

そうではなく、自分が何を大切にしたいのかをお互いに(相手と自分)聞き合える対話の場を作ることが解決策になる。

ちなみに、不安や対立・葛藤を「よくないもの」として捉えるのではなく、「大切なもの」として認識できれば、相手のあらゆる反応を「重要なことに気づくためのリソース」として活用できるだろう。

NVCの存在は以前から知ってはいたが、今回の「自己共感」というワードとの偶然の出会いをきっかけに、もう少し詳しく知りたいと感じた。

このように感じている自分を大切にしたい。

出会いを大切にするタイプの人間。

これもわたしの定義のひとつになりそうである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?