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倶楽部サピオセクシャル日記148:愛することと愛されることの関係は? 今夜は愛の等価交換について語ってみる
さて、本日2本目のまとめである。今夜のサピオまであと4時間ほど。仕事もたまっている中、サクッと書いてみよう。
◆「等価交換」という言葉の罠
このテーマを持ち出したのはぼくである。異論を引き寄せたくて、あえて「等価交換」という言葉を入れてみた。これ、いきなりだが今回最大のトピックだと思っている。
無私の愛は存在しないと思う。誰かを愛するときに、主体である「私」の存在は必須だからだ。では、この場合の無私が意味する「ノーリターン」についてはどうだろう?
ぼくはそれも存在しないと思う。誰かを愛した瞬間、それをなす自分を愛するからだ。この自己愛というリターンを否定する声は今回、なかったと記憶している。ただ、それでもなお「愛されたい」という欲求の吐露はあった。
愛を個人として完結できるものではなく、あくまで他者と取引するもの、と認識するなら、愛の大赤字はあり得る。結局のところ、認識の問題でありどう定義するのか、という話に思える。
◆愛は多様な形で存在する 「炭素」としての愛とは
個人的な体験を語るなら、愛に対する認識は、年齢とともに変わった。若き日に意識した愛は異性とやり取りするものだった。もちろん、それ以外の愛が存在すると知っていたが、欲したもの、奪ってでも得ようとしたのはそれだった。
最近は違う。それはあちこちに多様な形で存在するものではないか、と考えるようになった。化学における炭素みたいなものだ。この原子は4本の手(不対電子)を持っているため、他の原子とくっつきやすい。
そのため、さまざまな物質において、一種のハブとして存在する。たとえば、ビタミンC(アスコルビン酸)の化学式は「C6H8O6」というものだ。炭素6個と水素8個、酸素6個でできていて、大雑把に言うと炭素が他の元素を結びつける役割を果たすことで、化合物として成り立っている。
同じく、炭化水素の一種であるガソリンの化学式は「C8H8」やはり炭素が結合のカギである。愛になぞらえるならいくつもの感情を結びつけ、複雑に化合した想いを創生するのが大人にとっての愛ではないか、と考える。
ちなみにダイヤモンドは純粋な炭素の結晶である。きれいだが、ものを削るくらいしか使い道はない。
◆まとめ
愛の等価交換に特別な意味はない。ただ、誰かを愛した瞬間に、等価交換が完了するという考えは、美しいし安心にもつながりやすい。同じく、純度にも意味はない。おそらく、複雑に化合したものほど滋味深いはずだ。
年齢を重ねるにつれ、実感するようになったことを誰かと少しでも分かち合えたのなら、やってよかった回だと思う。