あの頃のアダルトビデオ 「花に死にせば」監督田中昭二(スナイパーシネマ 太陽図書)
DVDではなく、ビデオ時代の話。
私も少なからずアダルトビデオ(以下AV)に出ているが、あまりいい思い出がなく、話は後回しにしてきた。そんな中でも、急に懐かしく思い出してきたのがこの作品「花に死にせば」。多分1994年頃で私としては最後の作品だと思う(マニアック物を除いて)。
この頃すでにAVは、モザイクも透けて見えていたり、本番ものが主流となっていて、過当競争が起こり、企画もの、性の細分化へと進みつつあった。
監督の田中氏は「マゾヒスティック ラブストーリー」(1990年、詳細は<パフォーマンスいわれ4>をお読みください)を撮って、制作してもらって以来、呑み友となり、様々な映画論や新作についてなど意見を交わしていた。そんな中で話題に上がったのが「伊藤晴雨」についてだった。
伊藤晴雨は、大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家であるが、自身の癖として、女性を縛った「縛り絵」が有名になったため「変態画家」として今の世にも名前が残っている。
そんな「縛り絵」風な、昭和初期的ムードが醸し出される作品が作りたい、田中氏と私は意見が一致し、「伊藤晴雨物語」的な作品を作ろうと、話は進み始めた。
しかし、肝心の伊藤晴雨の原画が使えなかったり、AVとしては話が弱い、なんてこともあり「昭和初期的なムード」だけは残した緊縛もの、という企画になっていった。ちなみに私は、企画参加という前提で話し合っていた。もう私は本番などできない。つまり出演することはできないと思っていたからだ。
台本もある程度上がったとき、私に出演依頼が来た。
「いや、私もうホンバンしないよ。絡みも擬似だけだよ。緊縛はいくらでも頑張るけど。それでも良いんならやるよ」そんな条件で出演することとなった。
ストリーは坂口安吾の「桜の樹の下で」をもうちょっと軽くした感じ。男目線で自分の前世と現在が行き来する。登場するのは前世の女と現在の女、前世はマゾヒストで、現在は多少サディスティックである。どちらも心中を決意した旅に出るのだが、前世では女が一人死ぬ。「愛する人の手にかかって死にたい」と。これは究極のマゾヒストの言葉。現世では女に絞め殺され、「死んだらアレを切り取って桜の樹の下に埋めてくれ」と懇願する男。
共通するのは「愛する人の手で首を絞められる」ということ。前世では男に。現世では女に。私は当然「前世」役である。
この作品、キーワードが豊富すぎる。「雪」「桜」「昭和初期」「旅」「現代」など。そのため3、4ヶ月を跨いだ異例の撮影となった。出版社にお金があった時代だからこそできた企画。そして出版社だからこそ許された小洒落た撮影。
冬、雪のシーンから撮影は始まる。関東の山奥の一軒温泉宿。スタッフは10人程。出演者3人。乗り込んだ初日夕方から絡みの撮影が始まる。私一人が蚊帳の外だが、休憩するわけにもいかず、なんとなく現場を見ていた。私はどちらかというと出演するより、制作サイドの方が性に合っている。現場にいていろんなことに気づき、動きたくなる。
5時間ほどの撮影を終え、皆で食事。明日からの撮影について話は盛り上がる。明日は早朝から私の緊縛シーンを撮り上げる。ちなみに主演の原田美江さん、芝居ありの撮影は初めてだとか。でもこんな雪中での撮影をOKしたのなら根性ありそうだ。話をしていてもスレていず、素直な感じで期待できる。
私は「過去世の女」ということで衣装は着物。ほとんどが自前である。着付けと緊縛は、ミリオン出版SM誌の元編集長。もちろんよく知っている。着物は自分でも着れるが、やはりきちんと着付けてもらうと気分がいい。帯がきちんと決まる(どうせすぐはだけるのだけど)。ヘアメイクさんに髪を結ってもらい、私は昭和初期の前世<幽霊>へと入り込む。
「雪」での緊縛撮影は、私が懇願していたことであった。伊藤晴雨の雪中での撮影写真を見て以来、私の憧れとなった。雪中に埋まる女。髪の乱れや荒縄が雪で濡れている様子が美しい。しかし、関東圏で雪に埋まることはなかなかできない。山奥やスキー場など行けば別だが、それでは本当に命の危険がある。なので、私はこの撮影に全力投球した。ホンバンをしない分、緊縛で頑張るしかない。ましてや監督は、私が望んでいる様式を知っている。正確には雪に埋まることはないが、午前中から雪の風景での撮影は、決してラクなものではない。
前世の私は物語の中、時折、フラッシュバックしてくる。そのため、シーンのつながりなど関係なく、緊縛され責められる姿、パターンをいくつも撮る。手拭いでのスパンキング、蝋燭、小川に顔をつけられる、絡み、逆さ吊り。私ははなから覚悟して撮影しているからいいが、相手の男優さん(紺藤光史氏)はたまったものでは無い。着物姿に股引きを履いていても、体の震えは治らない。午前中ずっと外でのロケ。お昼ご飯でやっと温まったかと思えば、滝責めのシーンから再開。雪解け水が流れる小さな滝。後手に緊縛された私もおぼつかない足取りで滝の下まで行き、じっと耐える。荒縄が食い込んでくる。水の冷たさで息がし辛い。息が、、、。男優さんももちろん辛そうな顔。それなのにカットがなかなかかからない。何?何が悪いの?もう辛い、、、。20分にも30分にも感じたが、せいぜい5分であったろう。ようやくカットが掛かり、二人してようやく地面に生還。
監督「いや、ごめんごめん。早乙女があんまりマジな顔してたんで、つい、撮っちゃった」
なんたる発言!こっちは死にそうだったのに、、。これには流石に私も抗議したことを覚えている。
その後、休憩もなく、冷えた体を温める、という意味もあり、温泉場で絡みの撮影。この温度差に男優さんはついにダウン。いや、可哀想であった。私は大丈夫なんだよな。私の体も幽霊的であるのか。
私のシーンはほとんど終わり、日が落ちたら室内撮影。主演女優さんとのホンバン撮影だ。男優さんも頑張ってホンバンに挑む。いや、ほんとご苦労様です。
この日の夕食など覚えていない。明日は午前中に少し撮影し、帰るので、夜、ギリギリまで撮影する。冬のシーンは2泊3日。宿は貸切ではないが、実によく撮影対応してくれている。有り難いことだ。
数ヶ月のち、桜が咲き物語の完結を撮影。これは日帰り。場所はよく覚えていないが、関東近郊で川が流れているそばにロケの建物がある。ここは旅館でなく、何かの公開施設であった。
この日はほぼ芝居のみの撮影。男と現世女との道行話や、過去世と現世女との出会いなどである。ところが、緩やかな川を見ていた田中監督が突如「早乙女、この川で流れてくれない?」と言い出した。
「私、泳げないから無理だよ」
「ほんのちょっとでいいからさ、俺がサポートするから」
変なところに好奇心旺盛になる私。泳ぎが得意でないのに、<流れるってどんなだろう>と思ってしまった。
なんとか足がつく位の深さである。仰向けになり、川の流れに身を任せてみようとしたが、冷たい水と恐怖心で、呼吸は速くなり、瞬く間にアップアップ状態。顔が沈んでいく。監督がすぐ救助してくれたが、
「何だよー、もうちょっと頑張れよ」
「そんなの無理だよ」
これでも頑張った方である。結果、ほんの数秒だけ使われている。今から考えると無茶なことをしてますね。
桜の樹では、過去世と現世の女がすれ違う。着物は同じものを着ている。過去世の私は桜の樹に逆さ吊り。そこを通過していく女。これは綺麗なシーンだ。このビデオのカバーになったシーンだ。そしてこの撮影の終わりを告げるシーンでもある。私は「雪」と「桜」での撮影に参加でき、とても満足感を感じると共に、寂しさが湧いてきた。
「もう二度とこんな撮影はないな。これが最後の撮影だ」
逆さ吊りの間にいろんなことを思い返していた。
私の性癖は「自己完結型」とでもいうべきか。心の中であれこれ思い、勝手に満足、エクスタシーとなる。直接的な性的刺激がない方が好きなのだ。なので「撮影」が最も興奮できる手段だ。逆さ吊りでの長回し、なんて最も気持ちいい。ここに責めなど入ったら興醒めとなってしまう。男性にとっては「つまらない女」だろうし、なかなか理解してもらえない。いや、お互いの性的交流は嫌いじゃないけど、最も気持ちよくなれるのは、妄想自己完結なのだ。
話が少しそれたが、こうしてこの「花に死にせば」はクランクアップした。あとは編集の腕の見せ所。田中監督は鈴木清順監督のファンでもあるので、カットバックにつながりがないシーンを多様する。
そして作品は完成。私は思い入れがある分、好きな作品となったが、これは「ヌケる」作品かな?主演女優さんの絡みのシーンは確かにヤラシイけど、時折幽霊っぽい姿が挿入されている。ちょっと凝りすぎのような感じもするが、どうだろう、、、。
田中監督はこの作品を機に、ピンク映画を撮り、その後一般映画で「スパンキング•ラブ」を撮り、監督業へ歩んで行った。この作品はいろんな意味で思い出深い作品となった。
「スナイパーシネマ」は、雑誌会社が資本ということで書店売りであったため、いわゆるAVコーナーにはなかったと思うので、目に留まった方は少ないと思う。もし、知っている方がいらしたら、感想など伺いたいものである。
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