【ニッポンのフェミ】向田&未映子の文学少女的視点から
大河と朝ドラがフェミくさい。日本の殿方たちはフェミ嫌いなことは日頃の炎上ぶりから見てとれるし、このドラマたちも昔ながらの奥ゆかしい殿方たちはさぞご不満だろうと吠えまくられることを覚悟していたのだけれど、むしろ好意的なかたが多く、熱を帯びた視線を浴びている。
昨年の男女逆転「大奥」がNHKで丁寧に作られ、放送されたことにも驚いたけれど、今年はさらに攻めている。「アンという名の少女」というドラマが海外で作られたことをうらやましく思っていたけれど、日本だってちゃんとこういうことが可能なんだ、と半ばあきらめ気味だった私には、ちょっとした救いだった。
まひろこと紫式部も、トラこと寅子も、女将軍吉宗も、アンも、かなりこじらせている。当たり前とされている価値観に疑問を感じ、自分は人とは違う、当たり前でない道を行こうとする。それまでのフェミ的なヒロインはパワフルで元気いっぱいで明るく可愛く男子と張り合ったり、おっちょこちょいだったり、おてんばで男子をやっつける!というテンションである意味わかりやすかったのだけど。彼女たちはだいたいめんどくさい。現代のこじらせヒロインたちが大河朝ドラ共に並ぶのはかなり異例だ。朝ドラはともかく、大河でこうなると、さぞ往年の大河ファンは怒り心頭だろうと思う。
日本の多くの女性はフェミ的なものから距離を置いてきた感覚がある。それはフェミが学歴が高くて了見が狭く、本当に苦しんでいる女性たちの現実を見ていない、わかっていない、実際は助ける気がないような印象をうけること、多くのおじさんたちから、フェミはモテないブスがやるもので、若い貴女たちはああなってはいけませんよというメッセージというか圧力を日頃のセクハラなどから受け取ってきたからだろう。そうやってフェミ的なものをしっかり考させられないままにに来たツケみたいなものが今、私たちにしわ寄せになって押し寄せている気がする。
私個人としては殿方たちと戦うつもりはさらさらなく、むしろ優しい殿方たちには感謝しきりなので、戦うよりも理解しあえたらと思う。そもそも女性を解放するならそれと同じくらいというか、それ以前に救わなければならないのは男性たちで、稼がねば、学歴がなければ、家を支えなければ、働かなければとプレッシャーだらけの彼らは、女性からさえもプレッシャーを受けたら潰れてしまうだろうし、それらのどうしょうもない苦しさから女性を虐げるのだろうなあと見て取れることも多い。吠えるフェミさんたちが傷ついているからこそ吠えるように、吠える彼らもわかってほしくてわかってもらえないまま、相当傷ついているのだ。
向田邦子さんのエッセイで欧米のご婦人がたとホテルの朝食会場で出くわした話がある。彼女たちは出された卵料理が注文と違うとクレームをつけていて、さすがウーマンリブが盛んな国のかたがた、自分の権利を臆することなく主張していると感心しつつ、日本の女性たち、とくにお母さま、おばあさまがただったら、そもそも外食することに後ろめたさがあり、注文は同じものでまとめたり、女に生まれてしまった申し訳なさから、クレームも飲み込んでしまうだろうと。もしフェミニズムというものがあるのなら、彼女たちによりそいたい、とあって、私のフェミ観もだいたいコレに近い。「虎に翼」で、家を切り盛りする寅ちゃんの母親や、親友であり兄嫁である花江も丁寧に書いてあることも、これに通じる。さらに向田氏は父親が亡き祖母の葬式に来てくれた上司たちに土下座する姿を見て、父はこうやって私たちのために戦い続けてきてくれたのだと悟る。「阿修羅のごとく」でも、父の不倫を問い詰めに来た会社の事務所の、長年の仕事で擦り切れた椅子を見て愕然としたりする。親の本棚からこっそり取り出してせっせと読んでいた向田邦子氏の視点は今でも私のベースになっている。
中二病罹患と共に読み始めた村上春樹も、成長するにつれて、ちょっとキモいというか、昭和の童貞おじさんを相手に頭を抱えるような気持になることがありつつ、でもそういうなんとも言えなさも含め村上春樹かなとあきらめつつ読んでいた。最新作の「街とその不確かな壁」は、それまでの春樹成分が「君たちはどう生きるか」レベルでギュッと詰め込まれていて、それでいて「シン・世界の終わり」とばかりにアップデートされていてビックリした。女性観が特に変わっていたのだけれど、なんとなくとってつけ感というか、今までの女性観を一部あわてて修正したような感じが気になっていた。後になって川上未映子さんが村上氏との対談で、彼のいびつな女性観を指摘していたことがわかった。女性を性的な役割を担うものとしてしか登場させていないことなどだけど、村上氏は小説やエッセイのなかでフェミさんたちをずっと悪く書いていたし、「三人称単数」でもフェミさんたちからの指摘にかなりショックを受けたことがうかがえた。だから正直、とってつけた感があるとはいえ、ちゃんと女性観をヴァージョンアップできていたことに驚いた。若くない男性もちゃんと変わるんだなあ。多くの老いた男性たちは変わらないまま亡くなると思い込んでいたし、それはそれでよいと思っていたのだけれど。未映子さんは、あきらめなかったのだなあと尊敬する。私なら父親ほどの男性にわざわざ意見して変えようと思わないし。女ごときが!生意気に!と逆ギレされて叩かれまくるのがオチだ。多くの若い女性がおっさんに適当に可愛がられて、キモいとこはスルーしてガマンできなくなったらその時は黙って笑顔で離れようとしか思わないだろう。おじさんと同世代の淑女のかたがたはとうに彼らをあきらめて見切りをつけてきたのだろう。私と同世代の作家である川上未映子氏の勇気を見習いたい。実行して成功できるかは別として。向田邦子という大先輩と川上未映子という同世代の作家の視点や生き方を眺めつつ、30代の吉高由里子さん、ちょっと前まで20代だった伊藤沙莉ちゃんが演じる大河と朝ドラでの奮闘を毎朝毎週楽しみにしていきたい。
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