誰かと繋がる前に繋がるべき相手は、自分自身
ここにアクセスするのが久しぶりになった。
「書く」=「アウトプット」の一つだとは思うけれど
誰かに読んでもらいたい。読んでもらえる。と思う文章を書くよりも、
何も考えずに脳から様々な思考・情報・感情をジャーナリングスタイルで
手書きで紙のノートに吐き出すコトが自分の健康を維持するのに重要だった。
何かあったわけではないけれど、
私は感覚的に見えていない多くのモノもキャッチしやすい体質のが要因の一つであることは間違いない。
幽霊やオーラが見えると言ったタイプではないが
エネルギーというか本質的なモノを感じやすいタイプ。
それは人や写真からだけでなく「文字」からも感じ取ってしまう。
最近のinstagram(の傾向)に心地よさを感じなくなった理由の一つでもあったりす。
自分で創作した内容でもないが、自分の言葉のように発信し、
あたかも知ってる風にその分野のプロを演じる薄っぺらい投稿が目立つ様子に飽きてきたのだろうと思う。
この場合、投稿者が見せている映像・画像・言葉と投稿者の本質的な部分のズレが大きく内容とマッチしていない器の方が目立っているからだ。
本当の自分の姿ではなく「見られたい自分」を装っていたり
頑張ってそれを演じてる人の投稿に気づくことが
増えていてinstagram や note から距離を取るようにしていた。
私は自分が心から本当に「いいね」と思わないかぎりそのアクションはしない人間。
そこで自分の気持ちが無いのに「いいね」と行動することは
自分に嘘をつく行為だからです。誰よりも一番近くにいる自分を否定する行動だと感じる。
自分に嘘をつき続けていると心と身体が離れ本当の孤独になってしまう。
そんな感覚。
別に「いいね」をせずに「ただ見て流せばいいんじゃないか」とも言えるが
心に響かないモノとの接触を続けていると、感動に鈍感になる気がする。
なので、そんな時は自分の心の中を整理すること、余計なモノを取り入れないように努めて過ごす。
今回はその時間が長かった。
しかし、数年前よりも、人との距離感をとりやすい時代にはなっているとは思う。
おかげで自分一人の時間を作ることが簡単になっている。
気の合う人と繋がりたい。
話の合う人と繋がりたい。
心を許せる人と繋がりたい。
好きな人たちと繋がりたい。
という願いは誰もが自然に思うこと。
それには
「まず、自分が本当の自分と出逢い、その自分自身を受け入れていくことが大切」にする事を忘れないようにしている。
それが出来ていないままだと、過ごす人たちとズレに気づかないまま無意識にストレスを感じ無理が生じることに繋がりかねない。
なので、誰よりも一番最初に仲良くなるべき相手は自分自身なのだと思う。
まぁ自分を知る為に、人との出会いが存在するのも確かなので、
人と対話をしながら自分の声にもきちんと耳を傾けていく。
自分の魂に本当に影響のある出逢い(相手)なら
その人との対話の中から導かれた先に出会う自分は魂の真の喜びに繋がっているのだと。
久しぶりのnoteに記すことであったかは不明だけれど、
これを目にする、どなたかの実りある充実した一人時間に繋がることになれば嬉しいかぎりです。
最後までお読みいただきどうもありがとうございました。