「ずるい」と倫理
ずるい、という言い方がありますね。
あの人は宝くじに当たってずるい、いい暮らしができてずるい。
自分が手に入らないものを他人が持っていると「ずるい」わけで、
「ずるい」は嫉妬の感情を表しています。
ただの嫉妬であればかわいいものですが、スケールが大きくなると冗談ではすみません。
あの会社は自社開発した革新的な技術を活用して儲けていてずるい。
あの国は大量破壊兵器を作れるから逆らえなくてずるい。
だから「倫理」を持ち出して、ルールを作って縛りつけてやれ。
最早ただの嫉妬ではなく、持てないものの精一杯の抵抗です。
抜け駆けするには多大な努力が必要です。
その結果得た優位性を放棄する者がどこにいるでしょうか。
弱者が提唱し、弱者を煽動して衆愚の支持を取り付けた「倫理」の実効性を担保するのは何でしょう。
その倫理を無視されても実効的な制裁ができない場合、どうするのでしょうか。
私たちにとって、また皆さんにとって、二つの世界の者の間で良好な関係を築く術は、強力すぎる技術です。
もう一つの世界の者がもたらす便益はとてつもないものです。
だからこそ、うまくいくと、ずるい。
一方、得た力で自滅する者の話は枚挙にいとまがありません。
痛い思いをした者はひがみますし、
周囲の者も「こういう危険性があるから倫理的に良くない」と同調し、
皆がに牽制しあい、抜け駆けを許さないような空気を作ります。
何か大きな挑戦をしようとする者は、やる覚悟がない者のの遠吠えで委縮することはないのです。
もちろん、何があっても自己責任なので、
異なる視点から物を見ている周囲の忠告に全く耳を傾けないのは愚かなことですが、
やるかどうかの最終決定権があるのは、実際に挑戦する者です。