"can"と"need"の狭間で
春まつりで、集まった資金で、子どもたちがディスカッションをした。
「まじょになりたい」
1人の女の子のつぶやき。
毎週、水曜日の大人の話し合いの中で
「自分のまほうってこれだ!!」って経験できたら最高だね。
って話をした。
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本当は、ひとり1人にやりたいことがある。
これを言ったらはずかしいとか
こんな風に思われるんじゃないかと、自分を出すのが怖くなる世の中。
親は、勉強しないと社会についていけないんじゃないかとか
心配になるし、すごく不安だし
すごくわかる。
でも、自分ができなかったことを、次の世代へ、、、
支配するものが支配されるものへと、押し付けていったら、
いつまでたってもこの循環はとまらない。
消化できなかった恨みや憎しみ、悲しみは
親から子へ、どんどん引き継がれる
あなたは、ここに居ていい。
何をしてもいいし、何もしなくてもいい。
ただただ、ここにいることが奇跡で
毎日が新しい自分になっていくんだと思える。
どんなに不真面目で、不器用で
他人とちがくたって、いいんだと思う。
孤独の海から
人は這い上がり、光を見出す
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わたしにできること=「can」
社会から求められていること=「need」
もっともっと、鮮明に描けるように
研ぎ澄まして、高く広くおおらかに
生きる。
そう思わせてくれた、今日のディスカッション。
いつも、ありがとう。
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