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kentauroshappy
それは「幸せの証」
私は昔のことをよく覚えている方である。「よくそんなこと覚えているね」と言われる位だ。もちろん良くないことだって覚えているけど、ふとした瞬間「ああ、子どもの頃は幸せだったな」と思う。断っておくが、別に今が不幸せな訳じゃない。
幼稚園の送り迎えの時、道中手を振ってくれた近所のおじいさん。兄弟たちと仲良く遊んだ日々。優しい両親。学校での楽しかった行事。友達と初めて遠出をした時のこと。1つ1つをまるで昨日のことのように、今でも鮮明に思い出せるのに、もうその時間は過ぎ去ってしまったのだ。2度と戻ることはない。
しかしふと、こう考えた。それは私が「幸せに生きた証」なのだと。そしてそれは自分の力ではなく、他人に与えられていた面が大きい。子どもの頃に置かれる環境の大切さは、後々の人格形成や人生に関わるからだ。私も悲惨な経験をしていたら、また違った人間となり違う人生を歩んでいたかもしれない。
過去を懐かしみ今に目を背けるのは良くないが、「幸せな経験」をした人はきっとそれが生きていく上で糧になる時がある。いつか聞いた話だが、ある学校教師がこう言っていたそうだ。「学生時代のアルバムは、辛くなった時に見返してください。そしてまた前を向いて今を生きてください。」名言だと思う。
過去があるから今がある。出来ればその過去は、幸せの部分が多い方が望ましい。しかしまた、幸せばかりではその有り難さに気付かないのも事実なのだ。程度によるが、大変な経験や苦い記憶も生きる上では必要なのだろう。でも未来を担う子ども達には、出来るだけ沢山「幸せ」を経験して欲しいと思う。