「配られたカードで勝負するっきゃないのさ」
みなさまこんにちは。キャリコン人事の飯島佐緒里です。
私は「自分らしく仕事で輝ける人」を増やすことを志し、企業で人事をしながらキャリア支援者を目指しています。
私がキャリアカウンセリングで大切にしているのは、クライエントさんが言葉の力で新たな気づきを得て、「前向きに一歩を踏み出そう」と思ってくださることです。
このnoteも、読んでくださった方に気づきと前向きさをお届けできればいいなと思って書いています。
前向きになれる言葉ということで、今回はチャールズ・M・シュルツの漫画"Peanuts"からスヌーピーの名言を取り上げたいとおもいます。
『配られたカードで勝負するっきゃないのさ』
人生の転機や悩ましいことが起きたりすると、あーなんで私はこんなに辛いのさと苦しむこともありますよね。(私はかなり悩みやすい性格なので、よく考えています笑)
この問いには様々な答え方があると思うのですが、このスヌーピーの名言が前向きに生きるヒントになるかもしれません。
そもそも人生の中では不平等で不条理なことがたくさんあります。
全ての人に同じ機会や能力が与えられているわけではありません。人生は遺伝5割、生まれた環境3割で決まるそうなので、個人の努力にも限界があります。これは受け入れざるを得ない事実なんだと思います。
まさに、『人生は配られたカードで勝負するほかない』わけです。
どうしようもない事実
私は自分にコンプレックスがたくさんあります。
低身長、目が小さい、オタク気質、話が下手、声が通らない、優柔不断、飽き性etc.
ほんとに挙げたらきりがないくらい、自分を変えたいことがたくさんあります。そんな自分を変えようと努力してみたけど挫折して諦めたこともあります。
身長などはもう本当にどうしようもなくて、ヒール靴をはくとか努力しても20センチ大きくなるのは無理な話です。考えても仕方がないことなのに、ついつい人と比べてしまい、あーなんて自分はイケてないんだろうと悲しく思うことがよくあります。
(職場では周りに身長が高い方が多いこともあり、なおさら自分の小ささが際立つので、やっぱりちょっと悲しくなります。)
オンラインミーティングが普及したことで、ちょっと救われた時期もありましたが、最近はリアルでの対面も増えたことで、「実際会うと思ったより小さいんですね!」なんて言われるのはもうデフォルトです。もはや言われる前に自分からネタにしにいくようになりました。
このように、どうにも変えられない事実を小脇に抱えて日々を生きているわけですが、この『配られたカードで勝負するほかない』という言葉はネガティブになりそうになったときに、前をむこうと思わせてくれる言葉です。
自分が万能で何のコンプレックスもなく恵まれた環境にいたら、それはそれで人生イージーモードでしょう。正直めちゃくちゃ羨ましいですし、1回そういう人生も経験してみたいと思います。ただ、今世の私はどうやたって私であって、その事実は変えられないわけです。
変えられない事実とどう向き合う?
変えられない事実にどんな意味を見出すかは自分次第であるとも言えます。
自分の持っているカードの良し悪しを判断しているのは他ならぬ自分自身ですし、持っているカードがゲーム開始時に不利だったとしても、ゲームの状況次第では有利なカードに変化することだってあります。自分にとっては欲しいカードでも別の人にとっては手放したいということだってあり得ます。
同じ状況におかれていても、自分のとらえ方と行動次第でピンチにもチャンスにもなりえます。『どうせ変えられない事実だから』と諦めてしまえばそれまでですが、同じ事実でもポジティブな見方をすることで行動する勇気と新しいアイデアが湧いてくるものです。
自分の可能性を信じて行動することで、変えられない事実のなかにも新しい側面を見出して自分を進化させられるのではないでしょうか。
私は自分の身長が低くて童顔であることが不利なカードだと思っていましたが、身長175センチある女性には「私は身長高く見えすぎてお洒落なヒール靴をはけないし、ふわっとしたかわいらしい服は何となく合わせづらい。童顔の人は年齢を重ねてもかわいい印象に見えるから羨ましい」と言われたこともあります。
かわいい印象が羨ましい、というのは私には想像もつかないことでした。
なぜなら、年齢より下に見られるのは頼りなさげで恥ずかしいとずっと思っていたからです。どうやったら頼りがいのありそうなカッコイイ人になれるんだろうとばかり考えていました。
よくよく考えなおすと、自分に無いものばかりを追い求めていてもポテンシャルを活かせないばかりか、自分はダメだなと可能性を否定することになりかねません。
自分を良くしようという努力はもちろん大切ですが、努力の方向性と努力で変えられることを見極めるのも大切ですね。自分の良さを最大限に活かしてあげられるような在り方を模索することが、自分らしい人生を歩むヒントになるかもしれません。
スヌーピーにならって
さて、スヌーピーはルーシーから、『なんであなたは犬なんかでいられるのか、不思議だわ』と何とも理不尽で失礼なことを言われています。
スヌーピーにしてみれば、自分の意志で犬という生き方を選んでるわけでもないし、犬以外のものになろうとしてもなれないわけです。なぜ犬でいるのか?と問われても、自分がたまたま犬だったとしか言いようがありません。そこにどんな意味があろうが、その事実をどうとらえようが、自分は犬であるわけです。
変えられない事実を受け入れて、諦めではなく「配られたカードで勝負する」というあくまで前向きに挑むスヌーピーの人生観は達人レベルです。
人生というゲームを楽しみ、自分のもつ才能や境遇を受け入れつつも、ポテンシャルを最大限に活かそうとする前向きな姿勢が見えます。
私たちも自分の与えらえたカード(≒ポテンシャル)をどう生かすかを考えて前向きに過ごしたいものですね。