笑顔で生きるか、愚痴を言って生きるか
いつも読んでいただき
ありがとうございます。
さおりんです。
新約聖書のマタイによる福音書には
イエス・キリストの次の言葉があります。
断食するときは、あなたがたは偽善者の
ように沈んだ顔つきをしてはいけない。
偽善者は断食しているのを
人に見てもらおうと顔を見苦しくする。
はっきりと言っておく。
彼らは既に報いを受けている。
あなたは、断食するとき、頭に油をつけ
顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が
人に気づかれず、隠れたところにおられる
あなたの父に見ていただくためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられる
あなたの父が報いてくださる。
(マタイによる福音書 6章16~18節)
イエスの言うあなたの父とは神様の事。
当時のユダヤ教の指導者たちは現世利益
ばかり求め続けていました。
人知れず、神様を信じて愛を深めようと
するのではなく、
自分の権力や名声ばかりを気にして
生きていました。
だから断食する時も暗い顔をして自分が
どれほど努力しているかを人に見せよう
としていました。
イエスはそういう偽善者のような態度を
厳しく戒めたのです。
これは断食に限りません。
私たちは逆境に立つと、
自分はこんな重荷を背負って、ここまで
苦しみながら生きていると誰かに愚痴を
こぼしたくなります。
確かに少しの同情は得られるでしょう。
しかし、それではせっかく縮まった神様
との距離が遠くなり、天に貯えてきた
功徳が失われてしまいます。
生きていくうえでは、
誰にでも思い通りにいかないことが
たくさんあります。
そういうとき、
まずは人生で理不尽な出来事が起こる
のは当たり前のことなのだと
現実を受け入れて、
その状況に押しつぶされることなく、
逆に顔を洗って晴れやかに、にこやかに
暮らしていきましょう。
大切なのはそういうことです。
私たちは問題にぶつかった時、
生きる姿勢を自分で選び取ることが
できます。愚痴を口にせず苦しみを
心の中で転がしながら笑顔で歩いていく
生き方を選べます。
反対に愚痴ばかり言って
坂道を下降していくことも
1つの選択肢です。
日常を振り返っても愚痴をこぼしたときは
じつに後味が悪いもの。
ブツブツ言ってばかりいると、
最初は同情してくれた人までが
嫌な顔をして去っていくようになります。
いま増え続ける鬱の原因のひとつは
そこにあるように思います。
それよりも自分のすべてを知り、赦し、
助けてくれる神という存在を信じて
話しかけてみることです。
ある司祭は、少年期を振り返り
どんな時でも愚痴は言わない。
いつも笑顔で生きていくのです。
そう決意すれば、後ろから大きな温かい
手で支えて下さる方がいらっしゃること
を身を以て感じることができると
おっしゃっていました。
少年時代に母親から聞かされ、苦しい時に
常に心の支えとなってきた
「苦しみは生涯にわたって
心の中で転がしておきなさい」という
ことばの意味が最近ようやくわかるように
なったそうです。
上るか落ちるかという時、先ほどの聖書
のことばや司祭の母親がいったことばを
胸に納めていれば、大きな勇気を
奮い起こして現状を好転させることが
できます。
人知れず、
心の中で苦しみを転がし続けるなかで
苦しみあるところには必ずそれを超える
大きな恵みが備えられていることに
気づいていくのです。
信仰とは、神様を信じられないような
辛い状況にあっても、なお信じる事です。
目には見えなくてもそういう存在がいる
と信じて語り掛けてみてください。
きっと大きな世界が開けてきます。
苦しみは心の中で転がしなさい。
断食するとき、頭に油をつけ、
顔を洗いなさい。
(マタイによる福音書 6章17節)
ここまで読んでいただき
ありがとうございました。
さおりんでした。
今回ご紹介したのは、
シスターの鈴木秀子さんの著書
「自分を生き抜く聖書のことば」
について、ジェンダーのLGBTQ種族や
ADHD・HSPなどの繊細敏感種族、
いわゆる繊細感覚派が
生きづらい世の中から生きやすくなる
ために感銘を受けた思想を
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