死産後の生活・心の変化①
ICUで人工呼吸器をつけた状態で目覚めた私は、最初自分の状況が理解できませんでした。
赤ちゃんは・・・どうなったの?
私はそれだけが気になっていました。
目覚めてから少したったあと、家族がきてくれました。なぜそんな悲しんだ表情で私を見ているの…
人工呼吸器をつけているので話すこともできません。
自分の状態も含め理解できたのは、人工呼吸器をはずし部屋を移動し会話ができるようになってからでした。
産科の先生、助産師さんが様子を見に来てくださいました。
そこで先生から
赤ちゃんは亡くなった・・・
と言われました。
うっすらわかってはいました。
いざはっきりと言われるとショックが強すぎて、それ以降の会話、やりとりをあまり覚えていないです。
そして私は※常位胎盤早期剥離になったということを知りました。
現実を突きつけられた私は奈落の底へ落とされたような気持ちでした。
なぜこんなことに?
どうして助からなかった?
なぜわたしなの?
なぜこういう状態なの?
なぜ?どうして?、、と自問自答がずっと頭のなかでくりかえされました。
感情のコントロールが自分できかず、気がついたら涙が流れている・・・という感覚をはじめてしりました。
そんな状態の私をみて、夫はICUの別部屋に移動したときからずっと一緒にいてくれました。
1人であの暗い病室で夜を過ごしていたら精神的ダメージはさらに大きくなっていたように思います。
あのとき夫が隣にいてくれたことで私の気持ちはだいぶ救われました。
しかし今思うと夫だって悲しいはずなのに、、、
きっと「自分まで悲しんでいてはダメだ、いまは支えないといけない」という気持ちが強くあったんだと思います。
そしてICUにいたとき、1人の助産師さんが私の様子を見にきてくれていました。
そしてベットで寝ている私の顔の高さにあわせてしゃがみ、優しく話しかけてくれました。
声を聞いた瞬間、お産のときにずっと隣にいて声をかけてくれていた(娘をとりあげてくれた)助産師さんであることにすぐ気が付きました。
私は自分の頭のなかでくりかえされていた「なぜ、、どうして、、」を彼女に泣きながらぶつけました。
そのとき自分が何を言っていたか、どれくらい話したか覚えていません。
ただ泣きながら自分がいま感じていることをひたすら話していたと思います。
彼女は「うん、うん、、そうだよね、、」とうなずきながら私の言葉に耳を傾けて一緒に泣いてくれました。
私はそのときの対応、そして彼女を忘れません。
あのとき一緒に泣いて寄り添ってくれたこと、私の気持ちを聴いて受け止めてくれたこと、今でも本当に感謝しています。
その後、私はICUからMFICU(母体胎児集中治療室)の個室へ移動することになりました。
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