死産後の生活・心の変化②
MFICU(母体胎児集中治療室の個室)へ移動してからは自分の身体と心に向き合わないといけない現実がまっていました。
身体に関してはボロボロで、自分で起き上がれない、トイレにもいけない、1人で歩けない…
何よりお腹に赤ちゃんがいない、小さくなった自分のお腹をみることがとても辛かったです。
「助けてあげられなかった。なぜ自分だけ生きているのか。戻ることはできない。でもなんであのとき、、、」
突然起きた出来事に混乱し、怒り悲しみ苦しみ…様々な感情がわきおこり、わけがわからない状態でした。
気がついたら涙があふれてきて感情のコントロールがききませんでした。
夫は数日間仕事を休み、個室だったので病院に寝泊まりしずっと一緒にいてくれました。
隣で一緒に悲しみ、抱きしめてくれたこと。
身体が不自由になってしまった私をサポートしてくれたこと。
私の心を支えてくれたこと。
当時のことを振り返ると、本当に感謝しかありません。
身体が少し回復してから、助産師さんから「赤ちゃんを抱っこしたり、沐浴もできるからね。いつでも言ってね」と声をかけてくださり、すこし不安もありましたが、”会いたい”という気持ちのほうが強かったので希望しました
はじめて抱っこしたとき、「かわいい、、、なんて可愛いのだろう」と思いました。
この感覚は自分でも想像していませんでした。
初めて自分の母性を強く感じた瞬間でもありました。
ひんやり冷たく、皮膚の色も変化していましたが、表情は穏やかでまるで眠っているようでした。
「お腹からでてきても生きていけるくらい大きく成長していたのに…ごめんね、、ごめんね、、、元気に産んであげられなくて…」
娘を抱っこし見つめながら泣きました。
沐浴は夫にお願いしました。
助産師さんが隣につきながら丁寧に教えてくださり、初めてでしたがとても上手で安心感がありました。
娘は大きなパパの手に支えられながら洗ってもらい、とても気持ちよさそうにみえました。
「そういえば妊娠中に母親学級に2人で参加して沐浴の練習したな……」と当時のことを思い出したりもしました。
体をきれいにしたあと「鼻と口はパパ似だね、目はどっち似だったかな。美人さんだっただろうね…」と夫と会話しながら、あらかじめ買っておいた下着とベビー服を着せてあげ、そして家族3人で数時間一緒の空間で過ごしました。
そして病院で最後娘とお別れする日。
この日は家族全員が集まり、棺にお花や写真をいれてあげました。義父が娘をみて「かわいい...かわいいね…」とポロっと独り言のようにつぶやいた言葉が当時とても嬉しかっです。
直接抱っこできたこと、体をきれいにしてあげられたこと、同室で家族一緒に過ごせたこと、きちんとお別れをすることができたこと...
病院で娘と一緒に過ごした温かな時間は、退院後の悲しみを支える大きな力になりました。
時間が限られているなか、そのわずかで貴重な時間を一緒に過ごせるよう配慮してくださった病院や助産師さんの優しさに今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
また退院時に助産師さんから
可愛い手作りのカード(娘の手形足形、産まれた時間、体重、身長などが書いてある)をいただきました。
娘がこの世にうまれてきた証。手元に残るカタチにしてくれたこと、とても嬉しかったです。
そして退院後、しばらく実家で静養することにしました。
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