死産当日
死産当日。
その日の朝は、いつもと変わらない朝でした。
仕事に行く夫を玄関で見送り、「さて、そろそろ出産の入院時に必要なものをバックにつめないと!」と思っていました。
お腹も大きく「ふー、明日で37週。正期産にはいるからちょっと安心だな..ここまで大きなトラブルなくこれて本当によかった」と、少しほっとした気持ちでゆっくり準備していました。
そんな中、「なんかお腹が痛いな…少し横になろうかな?」と痛みがすこしあったのでソファのうえで横になることにしました。
お腹がはったり、すこし痛いと思うことは日常でこれまでも何回もあり、前駆陣痛の可能性もあるので最初は気にしていませんでした。
しかしお腹の痛みが少しずつ強くなっていきます。
不安になり病院へ電話をしました。
助産師さんに状況を説明すると、「じゃあいったんこっちに来てください」と、特に焦った様子もなく、”とりあえず来て”という感じが電話越しでも伝わってきました。
「やっぱりたいしたことないのかな?これくらいの痛みで診てもらうのはダメなのかな?、、」という気持ちになってしまったことを覚えています。
私は実家が電車で30分くらいのところにあり、里帰り出産をする予定だったので実家の近くの産院に通っていました。
「今から自分の足で病院へ行くことは無理だからタクシーしかない…でもこの状態で30分以上って…いや、、そんなこと考えてる場合ではない、早く行かなきゃ…」そう思って病院へ出かける準備をしようとしました。
しかしそうこうしているうちにお腹の痛みがだんだんと強くなっていき、さらにお腹の表面がとても硬くなっていき、
「何かおかしい…!!、、痛い・・・・痛すぎる、動けない、、、」
とうずくまって動けない状態になってしまいました。
お腹を抱えながら目をつむってうずくまっていたとき、、
赤ちゃんがお空に登っていく姿がふっと見えたのです
わたしはパッと目を開けて「いまのは・・・なに・・・」と戸惑い動揺しました。
今思うと、あのとき娘はお空にかえっていったのだと思っています。
そして最後私に挨拶をしてくれたんだな…と。
その後、私は激しい腹痛におそわれ、「どうしよう、、もう歩けない。。タクシーも無理だ・・・誰かたすけて」と、近くにあった携帯に手を伸ばし家族に電話しました。
夫は仕事中でしたがすぐに電話にでてくれました。電話にでてくれたとき、本当に救われた気持ちでした。
そして夫は救急車をすぐに呼んでくれました。
救急車が到着するまで私は動けず、玄関前でうずくまっていました。
そして近くに住んでいるおねえさん(義姉)も駆けつけて救急車へ同乗してくれました。
私はもうそこからは記憶がとぎれとぎれですが、ずっと声をかけてくれていたのは覚えています。
痛みはどんどん強くなり、もう目を開けていられない状態で「いたい、、いたい、、」とずっとうめき声をあげていました。
病院へ到着したときには、すでに夫も家族(私の両親)も病院へ着いていました。
そしてすぐに診察台にあがり、その後エコーへ。
その時のことは今でもはっきり覚えています。
先生が「赤ちゃんの心臓がとまっている」
え、、、?
なにいってるの、、、、?
痛みもあり冷静ではない状態で聞かされ、パニック状態だった私はその時は頭も心も理解できていない状態でした。
小さい産院だったので、ここで対応することは危険と判断され、再び救急車で大学病院へ運ばれました。
その後のことはもう記憶が曖昧です。
大学病院に着いたときにはすでに赤ちゃんがだいぶおりてきていて頭がみえている状態だったので、帝王切開ではなくそのまま普通分娩することに。
隣で涙目になりながら夫はずっと手をにぎってくれていたことは覚えいます。
私は助産師さんの掛け声にあわせて呼吸をし力をふりしぼりました。
娘が産声をあげて生まれてきてくれると信じて。
そして、、、娘はうまれました。
産声はありません。。。
取り上げてくれた助産師さんは泣いていました。
そして赤ちゃんはそのまま見えないところに運ばれてしまいました。
私は夫に「赤ちゃんは?、、ねぇ赤ちゃんは?」と聞いたのを覚えています。
このとき私はまだ娘が生きていると思っていました。
早産になってしまったから緊急処置が必要で運ばれているだけだと。
そう信じたかった。
そして私は痛みから解放されたのと同時に急に意識がもうろうとしていくのが分かりました、、
そこからはもう記憶がありません。
覚えているのは記憶がなくなる直前まで、夫が私の名前を大きな声でよんでいたのはぼんやり覚えています。
そしてオレンジ色の光がみえたこと。
娘が空にのぼっていく姿をみたときと同じ色でした。
あれは何だったのだろう、、と今でも思います。
これは後から聞いた話ですが、出産時に大量出血したことで私は一時意識不明の危険な状態だったそうです。
私はICU(集中治療室)へ運ばれ、緊急手術をしました。
記憶があるのは、翌日に人工呼吸器をつけて目覚めた状態からです。。
次回は、目覚めてからの状態、死産後の生活や心の変化について思い出せる範囲で書きます。
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