死産後の生活・心の変化③
退院し、家族だけで葬儀(火葬のみ)行なって最後娘を見送りました。
死産後の各種手続きはすべて夫にお願いしました。
私はまだ体が回復していない状態だったので、しばらく実家で静養することにしました。
母が家事など全てやってくれたおかげで、私は自分の体と心をゆっくり整えていくことだけに専念することができました。
起きて、ご飯をたべ、外をながめる、、、
何もせず毎日ただ時間だけが過ぎていきました。
時々窓の外から犬を散歩している人がみえたり、通学途中の小学生の笑い声が聞こえてきました。
みんな変わらない日常をおくっているのに...
気がつくと涙がながれている・・・実家にいてもそんな状態でした。
何もやる気が起きない、無気力な状態のまま時間だけが過ぎていきました。
一方でこのまま家にいて何もしていない状態は良くないと思い、天気が良い日は外に出て家の周辺を散歩することにしました。
1人で外に出て歩いたのは、久しぶりでした。
そして歩いてみて、思った以上に自分の体の状態がボロボロで全然回復していないことを実感しました。
散歩中に妊婦さんとすれ違ったとき、とても辛かったことを今でも覚えています。
そして毎日ネット検索にはしり、自分と同じような死産体験をされた方々のブログをずっと読んでいました。
自分以外にも同じような悲しみを味わっている人がいる、と思うことで心を保っていました。
母のサポートのおかげで体は少しずつ良くなってきました。
悲しむことにも体力はいるので食べる、眠るということは必要ですが、当時の私は普通に食べ、普通に眠れるようになってきた自分にだんだんと罪悪感を感じるようになりました。
これまで精神的にも身体的にも友人に連絡できる状態ではなかったのでしていませんでしたが、「仲の良い友人には死産のことを伝えよう、、、」とおもえるようになりました。
ずっと未読状態だったLINEをまずはひらくことに。
とても勇気がいりました。
友人に伝える文章を打っている途中何度も涙がでてきました。
言葉にすること、それは現実と向き合うことであり、その作業はとても辛く苦しかったです。
友人も突然死産のことを伝えられ、どういう言葉をかけたらよいかとても迷ったと思います。友人たちから返信がきて思ったことは、言葉ではないということ。
私の場合は、”気持ちに寄り添おうとしてくれる”それが伝わってくるメッセージが本当に嬉しかったです。
友人たちのメッセージを忘れないよう携帯にメモ(抜粋)していたので、ここにも残します。
学生時代の友人たちは素敵なお花とメッセージカードを送ってくれました。
心友たちは直接家に来てくれました。
隣で一緒に泣きながらずっと話を聞いてくれたことが、本当に嬉しかったです。
当時のわたしは暗い光のみえないトンネルに1人でいたと思っていたけど、私のことを気にかけてまってくれている優しい友人たちがたくさんいる…ということに気がつきました。
悲しい気持ちを吐き出せたことで、私の心は少しずつ変わっていきました。
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