【号外】ピリカの荒ぶりエッセイ~⑨
腹の荒神よ、鎮まりたまえ!な木曜日
連休が入ると、どうも曜日の感覚がずれていけない。
小さい事ではあるけれど、燃えるゴミを出し忘れる(夏の悲劇のひとつだ)、スーパーの全商品10%オフ日を見逃す(地味にダメージが一週間持続する)など、派生していろんな弊害を産んでいくのである。
この荒ぶりエッセイにしても、飽きっぽい私にしては2ヶ月続いていて、「やればできる」とそれなりに自己肯定の一つであった。それなのに、さあ書こうかと気づいたときは火曜日の22時。
そこから書こうという気も失せて、木曜日になってしまった。
来週に持ち越そうとは思ったが、このエッセイは私が自身の筆力向上のリハビリとしてやっているものだ。本気でやらねばならない。
本気とは何か?
そう、とにかく愚直に続けることが「本気」なのだ。
前置が長くなったが、木曜日でも私は書くことにした。ちなみに今は婦人科検診の待ち時間である。
要するに、現実逃避をしたいのだ、早いところ。
経産婦で来年50の私でも、あの独特の検診には慣れないし、できればやらずに逃げられないものかと毎回思う。だがそうもいかない。いまこのエッセイに全集中しよう。
さて、今の私が荒ぶっているのは心ではなく腹である。
これも更年期だからか、40代後半になると緊張や冷たいものや油ものの取りすぎで簡単に腹の調子が悪くなるようになった。
トイレが近くにあるときはいい。だが、田舎の道なき道を車で走っていると、コンビニさえないところで荒ぶられる時がある。
本当に本当にこれは困る。
お客さまの家でトイレを借りることはプロとしてあるまじきことだと思っているので、できれば事前に済ませたいものだ。
だがコンビニもガソリンスタンドもないところで荒神が覚醒してしまうと、どうしようもない。
ハンドルさばきも若干ワイルドになり、そんなときに限って一時停止不停止でお巡りさんに呼び止められたりする。
一度などは、ただならぬ私の形相と眼力に、お巡りさんがパトカーで警察署まで誘導してくれ、そこでトイレを借りたこともある。(もちろん、切符はしっかりと切られた)
うちの次男は過敏性腸炎をもっていて、本人曰く「腹の荒神と戦い続けて15年」らしい。相談相手に不足はなかろう、と先日相談したら、彼はふと私に憐憫の表情を向けながら「ぎゅるっ、ときたらとにかく掌で腹を温めなさい。俺はその方法で数々の修羅場を制してきた」と重い口を開いた。
彼を育てて19年、このときほど彼が頼もしく思えたことはない。まるで古の戦術を伝授する長老のような風格があった。
腹痛戦士は、大変な毎日らしいのだ。
友人と待ち合わせするなら必ず商業施設の中。各階のトイレを予めチェックしているそうだ。飲食店に入るにもまずトイレの場所を確認してからメニューを見るという。
財布の中には頓服薬。
忘れた日には気が気でないらしい。
要するに毎日の生活が「トイレ対策」の上にあるようなものであるという。
彼に比べれば、まだまだ私は元服したてのひよっこである。
しばらくは彼に頭が上がらないだろう。
今もまた検診室前の椅子で、緊張からか荒神がむくむくと活動を始めたようである。
私は彼の教えを守り、そっと腹に掌を当てて凌ぐのであった。
もう看護師さんが名前を呼んでいる。
あああ、行きたくねえなあ。