ピリカよ、自分を超えてゆけ
moteの街に住んで、3年目となった。
この文章は自戒のためのものである。
過去の記事がフォロワーさんのおすすめに出るのか、ずいぶん初期の頃の記事にスキをつけていただいてたりする。
そして、「ん?こんな記事書いたかな」と何気に過去記事を読んで、衝撃を受けた。
まだスキの数が2桁いかない頃だ。
そこには毎日毎日、自分の引き出しを片っ端から空けて一生懸命記事を書き続ける私がいた。
私に気づいて!
そして、繋がって!
文体は統一感がなく、やたら改行が多い。段落わけもめちゃめちゃ。 人の心を揺さぶる文章に憧れて、書けずもがいていた自分がそこにいた。
決して上手い文章ではなかったが、そこには荒々しい熱さがあった。
誰かに見つけてほしい、仲間がほしい、共感したい、という強い願い。
ねえ、私はこんな人間なんだよ。
こんなことを考えているんだよ。
あなたに読んでほしいんだよ。
行間から、切望するような湯気がたちのぼるようだった。
今、同じ熱さで文章が書けるのか?
私は自問する。
記事を書けば、いつも読んでくれるフォロワーさんが反応してくれる。コメントもいただく。みんな優しい。
イベンターとしては、手応えはある。企画は楽しいし、広がりも感じている。
やりたい方向に舵をとっているのは間違いない。応援してくださる方もいる。
間違った方向では、決してない。
やりたかったことは、できている。
だが凪の海を羅針盤通りに進み、望遠鏡で遠くの島を覗きこむだけではだめだ。途中で座礁するのが関の山だろう。
私は暗い荒波を掻い潜るような、ヒリヒリした文章を書きたかったはずなのだ。
今の私は先の丸くなって書けなくなった鉛筆のようじゃないか。南の島でのんびり釣糸を垂れる、それが私の持ち味じゃないだろ。
薄々は気づいていた。そして、見ないようにしていた。
私自身が、クリエイターではなくなってきているではないか。
それでなにがピリカ文庫編集長か。
思い出せ、
誰かに届けたいと願う真摯さを。
そして超えてゆけ。
大丈夫、あんたはまだ走れるよ。