【火曜更新】ピリカの荒ぶりエッセイ~⑧
パワー不足!?セロトニン不足の火曜日
さてさて、また火曜日である。
荒ぶりエッセイを書き始めて気づいたことがある。荒ぶるには、パワーがいるのだ。アンテナに引っ掛かったことを自分なりに分析・検証しひとつの意見としてまとめる。書きながらも一方的な「八つ当たり」にならないように、一度俯瞰してから書かねばならない。
先週から今週にかけて、同じように生活しているつもりだが、なんとなく覇気がない。それだけ私の修行がすすんで、細事に惑わされない人間になってきたのか?とも思ったがそれもいまいちピンとこない。
私の荒ぶりルールは、「陰を受け止め、陽でアウトプットする」である。なんだかここ数日、出してスッキリ!また明日からがんばろう!という方向に持っていけないのだ。
身体は疲れているのに、スッと眠りに入れない。起きた瞬間からだるさがやってくる。脚はむくみ、身体全体が重い。
人に会わなきゃ仕事にならんというのに、
出掛けるのが億劫でしかたない。
なぜだろうと悩みながら、あるときハタと気づいた。
九州はただいま梅雨真っ只中。この1ヶ月、晴れの日は数えるほど。
この文章を書いている今も、線状降水帯の影響で雷と大雨、空は真っ暗という状態である。特にこの一週間は大雨の連続。
日照不足、すなわちセロトニン不足なのだと気づいた。
なるほど、パワー不足の原因はこれかもしれない。
荒ぶりというのは、文章であれおしゃべりであれ、アウトプットすれば多少は発散されるし、やがて収まるものだが、そこまで誘導されず地味に自分の中で発酵してしまうとロクなことにならない。
発散されない荒ぶりは、やがて自分を攻撃しはじめるからだ。
「自分だって人様のことは言えないのに」「こんなことにイラつく自分は、小さい人間だ」など、これは百害あって一利なしである。
曇天の空模様のせいで、どうやら私はその状態だったようだ。
私の両親は、躾が厳しかった。
特に私の感情の振り幅の大きさには両親も閉口してたようで、いつも口酸っぱく教育的指導が入った。
「感情を顔に出すな」
「女は愛嬌、いつも微笑んでいなさい」
「昔から、お前は気が荒すぎる」
何回も何回も、嫁に行ってからも言われ続けた私の「欠点」。
感情の起伏の少ない、穏やかな聖人のようにふるまわねば。
私も昔は頑張っていたが、どんなに取り繕おうと、人からはそのままの私が見えているものである。
「ピリカさんってさー、朝礼中全然話聴いてないよね」
「機嫌悪いとき、パソコンのキー叩く音でかいよね」
「支社長が前で話してると、眉間にシワがよってる。分かりやすすぎ~!」
これはみんな、私が知らなかった「私」である。当初はえっ、そんな私不遜な人間じゃない!気をつけてるのに!と大ショックを受けたものの、身体や表情は正直だ。
私が朝礼中どんな表情でいるかは、私には見えないが周囲は見えている。すなわち、自分が自分をいちばん見てないのである。
でも周囲の人は、職場や家庭で怒りを多少露にしても、拒絶しないで受け入れてくれる。
ありがたいことである。
私が大事にしないといけないのは、「個性を殺して聖人君子のようにふるまう」ことではなく、「プンスコしがちな私でも、付き合ってくれる人たちに感謝を忘れない」ことなのだ。
最近調子が上がらなかったのは、セロトニン不足も合まって気持ちが内向きになったこともあるのだろう。
これからも私らしく、だ。
自分の頭で考えて、自分の肌で感じて。
適度に荒ぶりながら生きていこうと思う。
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