見出し画像

涎に宿る民藝

「なんだ、この人は……!」
話している内容よりも、口角に溜まった白い涎に目を奪われてそこから目が離せなくなった。それを拭くそぶりなどついぞ見せず、前のめりで懸命にひとことひとこと、思いをことばに乗せて外に吐き出している。言葉に魂が宿るとは、こういうことかと思った。

思い出したように、くしゃくしゃになった縦書きの原稿用紙に一瞬目を落としては、すぐに前を向き、話す。あんちょこなんて、形だけでちっとも見ちゃあいなかった。全部頭の中に入っていることが、こぼれ出てくるように話す人。「民藝と絣」。そういうタイトルだったが、彼の柳宗悦に対する、民藝に対する愛が溢れていた。「民藝は、伴侶として暮らしの中に共にあるもの」ということばを聞き、そうかこれは伴侶への愛なのかと思った。

染織家の村穂久美雄さん。
昨年関わらせてもらったwebメディア「雛形」の鳥取西部で生きる人々を特集した「私の、ケツダン」。その中で、自分の担当ではなかったが南部町の実政奈々美さんの記事に師匠として村穂さんが登場されているのを読んで以来、ずっとずっと会いたかった人。米子の高島屋のイベントで登壇されると聞き、どきどきしながら駆けつけた。

記事の中で奈々美さんは村穂さんのことをこう表現されている。

初めて会った頃は正直この人はなんなんだって思ってました。生きるエネルギーがものすごいんです。常に衝突、爆発してるというか。

実際に会って、本当にその通りだと思った。ドッカーン、ボッカーンと後ろの方で効果音が聞こえている。そんな感じ。

村穂さんは、戦後、柳宗悦氏に啓発され山陰地方の絣(かすり)を収集してきた第一人者で、自身も天然染料の糸で手織りする染織家だ。ある日、自転車でたまたま通りかかった川に干された絣のおしめを見て、「これこそが民藝だ!」と確信し、教師をしていた村穂さんの人生は一変したのだという。(記事より引用)

「利を追いかける人には美はついてこない」
「ハマ(弓浜の女性たちが作る弓浜絣)は貧乏だったから、残った」

民芸調と言われる、形だけを追う本質のないものに対する、憤り。
絣を織る「ハマの女性たち」への尊敬の念。

「民藝」とはなにか。今の時代の民藝とは。興味があって、自分なりに学んでいるテーマだ。それでいうと村穂さんの語る民藝は、昔ながらのTHE民藝論ではあるのだけど、私はこういう先人の口から生きたことばで語られる民藝が好きだ。これを、今の時代を生きる我々がどう受け止めて、どう自分なりに取り入れるか。

ものをつくる時は、自分は他者のために何ができるかを考える。個を殺して、自然やみんなの力・恵みをいただいているという初心を忘れない

こういうことばは、本当にぐっとくる。我が我がで「私が」生み出すのではなく、「生まれる」もの。私が民藝の好きなのは、こういう仕事に対する謙虚な姿勢や生きる指針となる教えが得られるからだ。

彼の口角でキラキラ光っていた涎は、私にとって久しぶりの「短歌ポイント(その一瞬を短歌に切り取りたい!と感じる、強く感情が揺さぶられる瞬間)」だった。飛び出た涎は、ボッカーンと爆発していた村穂さんの粉塵だ。トークが終わって話をしに行ったら、終わってホッとしたのかトーク中よりずっと柔らかくて、そんな様子も人間らしくて嬉しかった。

齢90の、生き様。
実際に会わないとわからない、漲るエネルギー。会いたい人には、会いに行く。会って自分がどう感じるか。それを大切にしていきたい。民藝がそこここに根付いている山陰を、改めて好きだと思った。

「私の、ケツダン」
生きるために織る。切実さをたずさえた、女の手仕事。<鳥取県・南部町>
https://www.hinagata-mag.com/comehere/28270