
「俺の子」「私の子」問題
「私の子だよ!」
この台詞がずっと頭の中に残っている。
映画「MOTHER」で出てくる台詞である。
妊娠を告げるとさっと姿をくらました男・阿部サダヲが、何年も経ってから突然現れる。そして、目の前にいる3歳くらいの女の子を見て「俺の子か?」というのに対し、母親役の長澤まさみが間髪入れずにドスのきいた声でこう答えるのだ。「私の子だよ!」
この映画自体は若干作りが曖昧であまり共感できなかったのだが、この場面だけは強烈に覚えている。このやりとりに、ものすごく違和感を感じたからだ。
これが例えばケーキとかだったら、自然に成り立つ会話である。
「俺のケーキか?」「私のケーキだよ!」
普通だ。
でも、子になると、意味合いが変わってくる。
「俺の子か?」
”Is she our baby?”(俺たちの子か?)
意訳すると”Is father of this baby me?”(この子の父親は俺か?)
に対し、
「私の子だよ!」
”It is my baby”だろうか。
この長澤まさみの台詞は、「今さらお前を父親とは認めない」という思いが強まって「私の子」というパワーワードになったのかなと考えたが、それにしてもどこか引っかかる。まるで物のようだ。「うちの子」はよく言うけれど、「私の子」は言うだろうか。「私たちの子」も使いがちだけど、よく考えるとちょっとへんだ。
「共依存」というこの映画のテーマがこの場面に集約しているような気がする。子どもはモノではなくて自立した個人のはず。山崎ナオコーラさんは、著作『母ではなくて、親になる』の中で自分の子どものことを「うちの家にいる赤ん坊」と呼んでいた。その徹底した客観的視線が気持ちいい。
うまくまとまらないが、様々な場面で子どもを呼ぶ際の所有格について、今後注目して見ていきたいと思う。
(産後62日)