お焦げのできるまで
朝起きたら、何か香ばしいにおいがする。
換気扇をつけておかないと、わりとにおいがこもるのでそれかな、なんて呑気に寝ぼけた頭で考える。それにしても、昨日香ばしいものなんか作ったかいな?嫌な予感がした。ぱたぱたと、一階のキッチンへ少し早足で向かう。この時は、まあ気のせいだろうくらいの余裕な気持ちだった。しかし、キッチンに入った瞬間に、遠くからでもコンロに細い細い青い炎が見えた。やばい。駆け寄る。昨日作った粕汁が飴色のどろっとした塊になっている。煮詰まった酒粕の酒のにおいがつんと鼻につく。慌てて火を消して、しばし呆然とする。なぜ、こんなことが起こったのだろう?あごの出汁で里芋を煮て、味噌と酒粕で絶妙の味わいが出せた、薄茶色のあの色が恋しい。
昨日のことを振り返る。
この家のコンロは左右二つあり、右側が強火、左側が弱火だ。最初は右の強火で火にかけたが、吹きこぼれたため左側に置き換えた。その後、弱火でことこと煮た後に、味噌を入れて一度は火を消した気がする。しかし、酒粕が冷蔵庫で固くなっていて、なかなか溶けなかったため、弱ーい火を点けた…のだったかな。明確に覚えていないが、そこで火を点けるか迷った記憶はかすかにある。そして、点けたのか私は。
その後、呑気においしくできたお椀に盛った粕汁を、写真など撮り、眠たくなってきたので二階に上がりすぐに寝た。写真の時間が23時半。焦げに気づいたのが、朝8時。その間8時間半も、煮詰め続けていたのか。
思えば、前の家でも何回かこういう場面はあったが、全て何かによって助けれていた。一つは、安全制御装置。コンロが、一定時間以上火が点け放されていたり、鍋に水分がなくなると勝手に火が消えるように設定されていた。だから、焦げはするが火は消えていた。そして、同居人の存在だ。「火が点いていたから消しておいたよ」そう言われたことが、そういえば一度ではなくあった。
考えれば考えるほど、自分の習性を戒め、行動改善をするチャンスはあったはずだ。しかしそれらを重く受け止めず流していたせいで繰り返している。古いコンロで勝手に火が消えない、一人暮らしで他の人が気づいて消してくれない。セーフティネットがないということは、なんと責任が伴うことなのだろうと、本当に背筋がぞっとした。
もし焦げきった粕汁が引火して火が出ていたら。大切な人から破格で借りている大切な家が燃えてしまっていたかもしれない。もしにおいに気づかず、朝バタバタと家を出ていたら。考えれば考えるほど、恐ろしくて足がすくむ。学生が子どもの事故を防ぐために、という講習で例に出していた、「ハインリッヒの法則」を思い出す。一つの大きな事故の背景には、29の軽い事故があって、その背景には300のヒヤリハットがあるというもの。鍋が焦げ付くだけで済んで、おいしい粕汁が飴色の塊になっただけで済んで、本当によかった。心して。