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表現=自己探求・創造

2年経った今も探求の繰り返しですが

SNSの発信(に限らず表現)私はしておいて良かったと
振り返りながら思います。

「人に読まれる投稿をしなければ」
何度もここに悩みながら

なんでもない普通の私だからこその言葉をずっと
SNSに発信していました。

自分に落とし込むため、日々の気づきが
誰かの気づきになればと投稿をしていました。

自己対話・フォロワーさんからの言葉で自身の
「感受性の強さ」「共感性の高さ」にも気づけるようになりました。

最初にSNS発信をしながら、人の投稿を見ながら
気づいたことは

どうやら私(たち)は頑張りすぎなのか?
自分に目を向けるのが大事なのか?
ほうほう、自分を満たすことが大切ねと。

いわゆる、「自分軸」というヤツですね。
この言葉にも相当翻弄されたけど。

「自分軸であるために」
これをやってみよう、これをやってみよう。
些細なこともやってみた覚えがあります。

自分のガチガチの固定観念に気づくこと
子育てに対する拘りを緩められたこと(お友達は必ず必要だとか)
自分と同じように、主人にも別の価値観があるのだなと
日常生活から学んでいきアウトプットしていった過去があります。


感受性の強い、言葉一つで傷ついている私。
4年間貯め続けたていたものが溢れ出して頑張りを認めてほしかった私。

私が正しい。私が全部やる。
いつのまにか背負い込んでいたことに気づいた私。
ずっと、ありがとうの一言が欲しかった私。

焦り、慰さめ
子どもとのバランスに悩む私

色んな自分に会うことができました。

お金を払って学ぶという価値観がなかったので
よく言われること・書かれていることを正解とし
色んな学びが楽しく学んだことはそのまま、
それはそれは素直に吸収していきました。

※ただ、鵜呑みにする自分とは裏腹に
ここは違う、自分はここを大事にしたいという
こだわりがどんどん膨らみ

本当は自分が何をしたいのか
本当は何を大事にしたいのかを悩みながら
行動をした2年間でした。

2年間、もっと言えば幼少期からずっと
自分が違和感を持っていたこと・こだわっていたこと
コンプレックスを抱えていたこと
傷ついたこと

色んな経験が自分が、今の自分を形成してくれているなと思います。

今までは
その表に出したくないこだわりや違和感というものが
人を傷つけるという観点から表に出せなかった。

でも、一見その影のような闇のような一部分を
具に真っ直ぐ見つめたことで

今、本当に面白いような人生が始まっている。
自分で自分の人生を創造してくんだなという実感が持てている。

違和感を色んなものに持ちながら
「行動」したからこその、「体感」があります。

学びは今や沢山転がってて
同じような発信も多い。

私も同じようなことを綴っていくかも知れないけれど
紛れもない「体感」を綴る。

「自分を取り戻した過程」
「人生を創造していく過程」
「感受性の強い人の境界線の引き方」
「自分そのままの生き方が仕事になる」

どんなカテゴリーになっていくかは正直分からないけれど笑
過去を振り返り、今を大切に、未来を創造しながら

自分の記録を綴っていこうと思います。

ぼちぼちとね♡


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