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違和感を見つめる。

いつも間にかnoteを開くのが久しぶりになった
2024年。
定期的にくる違和感・停滞感をかき記しておこうと
思う。

2023年からアートを楽しみ始め
いつの間にか自分が解放されていた。

2024年はライブペイントをし
安心感か解放感からか、大泣きをし笑 

この2024年ありがたいことに
毎月のようにコラボの話をもらい
アートだけでない
自分が目指すゴールのようなものも見えはじめ

自分の中では本当に駆け抜けた上半期だった。
本当に充実していたし楽しかった。

だけど…この秋分前後で、いきなり
自分の中での停滞感が増大。
いく道はわかっている。いきたいのに行かせてもらえない。この重たい感じ。何???
早くいきたいんですけど〜泣

が今の状況です🤪

何人もの人と話してヒントをもらって
ズレが見えてきた。ので悩んだ時は
ここに戻ってきたいと思う。

小さなようで大きなズレ。
それは「自分がそこに存在していない」

いや、厳密にはいる。
いるんだけど、その場がうまくいくように、
みんなが楽しめるよう、満足できるよう、が
先行していて、そこに没入する。ということを
私自身ができていなかった。

全体的な俯瞰的な役目はいる。そして、それは
私自身得意な自覚もある。
全体を見たいあまりに、私を私自身が
端に追いやっていた。それも無自覚に。

また、日常的にも、感じるという事が
意識はしているものの
圧倒的に少なくなったため、
ズレに気づけていなかった。
その上、その感じ方が、粗い。非常に粗かった。

「怒っている」「これ嫌」「これ好き」は日々、
発見できるようになった。
あれだけ感情に無頓着だった自分が
感情を拾えている。

そこは確実に成長をしたけれど、
ただ、その時の対処が雑。
うん、怒っているね…以上、おしまい。 笑

こんまりさんで言えば、仕分けをしておしまい。
ときめくかどうか、どの程度のときめくか、とか、
その大事な部分をしていなくて、
ポイポイ、自分の感情を捨てていた。
いや、処理していた、つもり。

その感じ切られていないものたちは
結果、体に残る。

今回に関しては気づけていなかったけど
いつのまにか、かつてのパターンにハマっていた。

「自分より人」そのつもりのない「自己犠牲」。
自己犠牲というか
楽しかったので、そんなつもりは全然なくて
なんだろう、
自分の濃度を薄ーくしてしまっていた感じかな。

勝手に、その場その場で求められるもの
(求められているだろうと思うものに)に
自分を染め切ってしまっていた。

本人が疲れている自覚も何もないのだから、
このまま進むこともできるけど
もう私は、自分の中の違和感が見過ごせない
自分になっているし

違和感を大きく無視して、進んだ先のことも
体感しているから、
力づくで動くことはしない。というか、できない。

リラックス、小休止のタイミングがきた。
何を感じ、何が心喜ぶもので、
何は見過ごせないのか、また
それは、どの程度のものなのか、
純度と感度を戻すタイミング。

とてもいい例えをもらったのだけど
「お肉食べたい」
本当は近江牛のステーキが食べたい。
のに、大豆ミート食べてる感じだよって🥩
いつまでも求め続けるわな、肉を。笑

別に、全ての人がここをやる
必要はないんだろうけど

私は
「感情を感じたいし動かしたい」
「自分でやりたい」
のがどうも本当に強いらしい。

気づいていたのだけど、めんどくさいじゃない?🤪
教えてもらった方が早いし?笑

だから、学びたいと思うようなものも
目の前にちらほら、現れる。
けど、人と同じは嫌。そうじゃないと思う一線が
どうしても出てくるから、納得ができない.

というめんどくさい性のようです。
こんなこだわり強かったんやねって感じよ。笑

絵を描くことに限らず、
アーティストなんだよっという言葉をもらい
そこに改めて降参をしようと思いました🙇‍♀️

自分が没入しなければ、感情は動かない。
自分でやらなれけば、オリジナルは生まれない。

(結局、完全オリジナルなんてものはないから
 体験や感情を通して
 自分の言葉や経験を大事にしたい感じね。
 それを届けたい)

アートや自然といった五感を通して、
自分自身(私・あなた)を見て欲しい。

これが本当にやりたいこと。

目的・目標を持つのは悪いことではない。
むしろ、大事だ。

だけど、アートで私はいつも間にか解放されたようにこのイベントを通して、
こうなってほしい、これを得て欲しい。
私の場合、それさえいらないのかもしれない。

もう書いてて、まじで面倒くさい。笑 
もっと上手に生きたら?と思うけど
その生き方にはもうほとほと飽きているのも事実。

想定外のところに行きたいのに
結果をいつも間にか想定内のところに
ピン止めしてたよね。

その結果をとりにいくために、
私を蚊帳の外に追いやっていたのが
今回の最大の違和感でした。

監督でなくて、今は、プレイヤーでいたいようです。
過程で感じるものを、じっくりじっくり味わう。
もう一度、丁寧に。

また、追いやってごめんね、
私。自分と仲直りしていきます🫂




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