支援について感じたこと
以前より私は「子ども」の笑顔を守りたい。大人から見せていく。
というのがずっとあるんですが
そこで私の中で蔓延っている考え方の一つが「助ける」という視点。
自分を犠牲にしてでも周りに手を差し伸べないとと思っていた。
(大部やわらいだので自分を大切に、犠牲にしないというのは
念頭に置けるようになりました)
苦しい人がいたら手を差し伸べないと「助けないと」というのが
ずっと根底にあった。
と同時に「助ける」「救う」という考えにずっと違和感もあった。
自分何様ですか?っていう。
その崇高な気持ちを否定したいわけではなくて
なんかその考えが上下関係を作っていそうで私は嫌だった。
(あくまでこれは私の感覚)
「助けて欲しい」という人はもちろんいる。けれど
本人たちはそんな視点で見て欲しいわけでもなかったりする。
聞いてみないと分からないものだったりする。
教育の現場や子育ての現場を見ていると
過酷な人たちも実際にいて支援は必要であって
でも実際のところ情報が届きにくいこともあり、支援が届きにいくことも
難しいこともある。どうやったらその人たちに頼る場所があるのか届くのだろうと思っていた。ここにずっともやがかかっていた。
ただ、ぽんっと今日思ったのは
「自分自身が全力で楽しんでいること」
ボトムアップやトップダウン色んな考えがあるけれど
絶対どっちでしないといけないなんてものはなくて
縦横無尽に対応も方法も変えていける。
(こんなことを自分の自由に書いた絵を見て思った)
直接的な支えはすぐには届かないかもしれない。
でも自分が楽しんで輝いているときの笑顔やエネルギーの
爆発力は凄まじいと思っている。
実際の支援、オンラインのサービス
色々あって金銭も発生するので
「プロ」として「知識を」「目に見えてわかるものを」と
頭をがんじらめにしてしまうけど
支援はあくまで「支え」自立していくためのもの。
自分でやっていくためのもの。
そして「気づき」もきっかけは提供できても
何に気づくかなんて当の本人しか分からない。
気づかないこと・できないということだって
本人にとっては気づきだから。
小難しく考えずに
やりたいなと思ったことはやってみたら
いつか答えに辿り着けると思っている。
すぐに私たちは色々なものを背負い込んでしまうけど
人が人に対して与える影響は些細なもの。
何かをして、何をすくいあげるかは本人次第。
昨日また同じループに入りかけていたけどようやく抜けたぞ!
すぐ真面目モードに入る自分も最近面白くって可愛いなと思います笑
助けているようで助けらていて
助けてもらっているようで、それが人の助けになっている。
だから気負わないで大丈夫だ!