自分が今立っている場所について時々本当にここでいいのか、そもそも本当にここに立っているのかとか考えている。そもそも僕には本当に二本の足があって、それはちゃんと地球を踏みつけているのかとかそういう事を考えている。 僕も昔はちゃんと原宿渋谷池袋といった東京の愛すべきチープシックシティで嗜むイリーガルとかやっていたし、女の子と夜の街を追いかけっこして夜から隠れて立定駐車場でキスをしたりしていた。僕は今よりも幼くて、ロマンチストだった。僕は今よりもよく喋って今よりもなにも出来なかっ
仕事をしている。必要な仕事をしている。必要とされている、人間としてまともでいるために必要な、仕事をしている毎日です。時々思うのは僕はいつまでここにいるんだろうという事で、そういう時はいつも仕事をしてるふりをして手帳を開いて日記を書いたり、これからの僕の人生について、これまでの人生についてに思いを馳せたりして、いまこの時間もいつかそういう風に思い出す価値のあるものなるのだろうか考える。 いつまでモラトリアムしているのっていうのは間違いないと思うのだけど、僕は昔からそうなのだ。
今新幹線で東京駅からすこしだけ西まで向かっている。今日は日曜日だしなんだか天気もぐずついているし、一昨日までの夏は彼自身が夏バテしてしまったみたいで、しばし休憩とのこと。そんな天気だし君は仕事で朝からいないし、今日と明日君に会えないのが悲しい。恋愛に重心を置いて生きているわけではないし、それなりに幸せににいろんなことを経験して生きているけど、君はもう生活の一部になっているから、だから生活の一部が損なわれてしまったようですこし悲しい。結構寂しい。最近はすこし涼しくなってきたから
学校というものは主体性が伴わければそれはそれは地獄のような空間のわけであって、僕は小学校や中学校というものになかなか上手く溶けこむことが出来なかった。最近よく夜10時過ぎに子供たちがNのリュックのヤバイ塾でお馴染みの日能研のバックパックを担いでいるのを見るのだけど、最近の子供はなかなかにハスラー気質でこのままunitの端の方で代官山に住んでますみたいな美容師見習いの女の子とホテルでいろいろ勉強しちゃうんだろうなとか思う。思うのはそれだけではなくて僕の通常の方の脳(ブラック・
箱根に旅行に行ってきた。新宿から1時間半でいけるなんて凄いね。もう少しくらい遠くてもいいんだよって思ったけど、ロマンスカーの展望席から見る外の風景は本当に綺麗で、時間があっという間に流れていく。電車の中はいろいろ考えたりする。僕は池袋から11時過ぎに出る湘南新宿ラインが好きだ。みんな疲れていて、静かで何かを静かにまっているよう感じる。 新しい事が始まる。 もう少しで僕はちゃんとした社会人というものになる。長い長いトンネルを抜けた先は明るいのだろうか。それとも今以上に暗く寒い
もうすぐで、春ですね。 もう本当は僕たちは春のどまんなかににるのに、それでもこれからくるかもしれない悲しい夏とか、それよりももっとすぐそばにある春を考えたりしている。最近はどうもこうにも何もすることがなくて、時間を無駄に使ってしまっている。無駄に使うのもどうしたものかと思って、今まで少し距離を置いてきた本を呼んだりすることに時間を使ってみる。 本を読む準備というものがある。 それはもちろんその本を買うことで、先週は荻窪のTitleと吉祥寺のBASARA BOOKSに行っ
私達がまだ生まれていないくらい昔の話、熱海は新婚旅行のメッカのようなものであったらしい。いまでもいくつかの旅館とホテル、歓楽街は当時の姿で浜風を浴びている。そこには人が来て、去っていく。それだけの場所。 ドルフィンホテルのように、どこにでもあるようでどこにも確実にないホテル。インターネットで検索したらいくらでも出てくるホテルのようなものたち。そういうものに全て、歴史が存在している事を私たちは忘れてはいけない。忘れてはいけない。思い出さなくてはいけない。そこには記憶があって、
皆々様お久ぶりでございます。 最近は仕事が忙しかったりして、出張でミラノまで弾丸で行ってクライアントにプレゼン、などなどの真面目な社会人生活をしていたので、なかなか自分の時間を取ることができませんでした。 毎日毎日忙しいのはあまりよくないですね。 そういえば昨日、空港から帰るタクシーの中でまだ着慣れていないスーツにトレンチコートを身にまとった麗しき乙女たちがたくさん目に入って、ああ君たちはこれからこの世界に飛び立つのかなんておもったりしました。 みんな頑張ってね。頑張
色んな人の、フォローさせて頂いている方のnoteをたくさん読んでいて気付いたのですがnoteには有料記事というものが存在するのですね。いくつか有料記事を買って読んでみたのですが皆さん博識でこんなにたくさんの考えを持っている方が匿名で世界にはたくさん存在しているのだなという当たり前のことに気付いて世界すごいなあとか思いました。いろんな事を体験されている方が多くてそれは自分にとっては通過した物事であっても他の人にはこれから体験する物事であって、または体験することが出来ない物事であ
暖かくなってきましたね。 昔soundcloudに暖かくなってきましたねremixというのがあって、それが好きでよく聴いていました。 一時的な暖かさでも私は幸せな気分になれるし、自分の家のソファで寝転がってレコード(今はNujabesを聴いている)を聴いていると自分が湖のちょうど真ん中でボートでぷかぷかと浮かんでいるような気持ちになる。そういうのを私は幸せと呼ぶのだと思っていたのだけれど私の友人は高輪プリンスで土日をよく過ごしていて、それが彼女にとっては幸せだと言っていた。
世間は甘い甘いコーラフロートの上にチョコレイトを浮かべてその上にさらにバターとココアパウダーをふりかけたみたいなバレンタインムードですが、皆々様甘い恋にとろけて経済活動が止まってしまえばいいのにと思うよ。 会社の同期の恋する乙女達と日本橋の三越と高島屋でキューピッドが放った後の弓矢を買いに行ったのですが私はどうしても千疋屋の放つ未だに解明されていない重力に抗えずにおめおめと一人でパフェを食べたりしました。 その後銀座線で一人で浅草まで行ってきました。まるごと日本にいったり
人はみんなそれなりに、それなにり恋をしたりして、それなりにそれなりに愛を与えて与えられての繰り返しなのだろう。 いまの私の家には石油ストウブがあって、それがお気に入りで、いつもやかんでお湯を沸かしているからそれはつまりお茶を飲むという行為に直結するわけで、私がお世話になっている美容師さんが静岡出身なのもので上等な緑茶を頂くのだけれど、私はそれを上品に頂けるような茶器を持っていないので明日は浅草まで出かける事にしました。 カートヴォネガットの新しい本が出ていて、なんだか少し
会社でとても面倒な事があって、もうだめだとか思ったりしてタクシーで品川駅まで移動して、そのまま新大阪行きの新幹線のチケットを買った。 京都までにしようかなとも思ったのだけど、私は京都にいくつもの素晴らしい思い出を残してきているのでいまの状況ではそれに触れる事ができないなと思い、好きでもない街東京から好きでもない街大阪へと向かうことにした。 都会には人がいる。勿論地中上のほとんどの地域には人がいるのだけれど、日本の都会には確実に多くの人がいる。深夜に大阪について、初めて一人
私が大学生の時に住んでいた京都のアパートメントは鴨川から少しだけ離れた位置にあって、ロビーにはオートロックが付いていて、初老のおじいさんがいつでもロビーでコンセルジュのふりをしているような、そんなアパートメントだった。そのようなアパートメントであったから、私の部屋にはいつも鍵をかけていなかった。 鍵というものは、閉めてある状態が通常なのか、開いている状態が通常なのかどっちなのかわからないのだけれど、私としては閉めてある状態のそれを、通常としたい。 始まりかがなければ、終わる
私の事を何も知らないくせに、私のすきなものとか嫌いなものをしろうとしてくれる君はどんなに優しい人なのだろうか。 夜眠るときにキスをしてこないで私よりも先に寝ないで。 私が寝た後に君は私を抱きしめて、明日私がいなくなってしまうかもしれない事を少しだけ考えて、冬の寒くて静かな部屋の空気に、そのような悲しみだったり寂しさを全て溶かして、いつもより強く私を抱きしめてから、愛情だけで私を満たして、それから寝て。 そういう我儘を君はきっと嫌がるのだろうけど、つまらない毎日を君だけが楽