見出し画像

『期待』ってなんなの?        「おお、ロミオー!」



『シェイクスピアは言った

俺はいつも幸せなんだ

なんでかわかる?

誰にも
なんにも
期待しないから

期待はいつも傷つける』



snsで流れてきた動画の中の言葉の抜粋です。




わかる。


期待するから腹が立つって、
わかるし、知ってる。



と思ったけど、


この言葉を聞いたとき、



「とは言え、
それって、やっぱなんか、
さみしくなーーい??」


って思ってしまった。



『期待しない』って聞くと、
なんだか、
人との関係が
冷めてるようなイメージをわたしは受けちゃう。





人って、
人につい期待しちゃう。

わたしもいつも期待しちゃう。



親しい人よりも、
通りすがりの人とか、
たまたま出会った店員さん、
知り合い以上友だち未満くらいの距離感の人に期待しがちな気がしてる。




「ふつーこんなことする?」とか、


「いや、それ、おかしいでしょ??」とか。



こんな気持ちって、
要するに
期待はずれだった場合の感想かと。





確かに、
期待しなかったら傷つかないよな。



じゃ、
期待するのやめたらいい、よな…


うーん、、
やめれる、のかな…??




と考えてたら、
『期待』ってなんだろ??

……分からなくなってきた。笑




「おお、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」
ならぬ、
「期待ってなんなの?ロミオー!」←わたしの叫び




ロミオは答えてくれないので調べてみた。




期待(きたい、英:expectation)とは、
何らかのことが実現するだろう、
と望みつつ待つこと。
また、当てにして待つこと。

              〜Wikipediaより




『実現するだろうと望みつつ』

と、あった。



あーここだ。


こりゃいかんよ。




勝手に、一方的に『実現するだろうと』思っても
実現するかも知れない、
しないかも知れない。

未来のことなんてわからない。

実現するかどうか、そんなの五分五分。




それを、『望みつつ』って、
望むのはいいけど、
押し付けは重いって!!



『当てにして』に至っては、
あつかましいから!!





これはトラブルの元ですね。
はい。

よくないです。ほんと。






だけど、

どうして人は期待しちゃうんだろ??




さっきのWikipediaの続きにこうあった。
↓↓↓

ブリタニカ国際百科事典には、過去の経験あるいは現在の状況に基づき、ある現象や事件などが発生することを待ち続ける状態、行動の準備状態の一種で、大抵の場合は情緒的な緊張をもつ、とする説明文が掲載されている。
              〜Wikipediaより





確かに。


過去の経験から、
自分の中に『こういう時はこうでしょ』
というあたりまえができてきて、



その自分のあたりまえを、
他人にも「こうでしょ?」と当てはめちゃう。


無意識のうちに押し付けちゃってるもんね。



あたりまえなんて、人それぞれ違うのに、ね。



なるほどーー。




だがしかし、
冒頭のシェイクスピアの言葉のように、
誰にもなんにも期待しないのは
わたしはなんだかさみしい気持ちなので、



わたしの場合は、
あきらかに価値観の違う人には
なんにも期待しないことに最近したんだが、←
(↑↑只今、習得目指して絶賛練習中)




すきな人、大切な人には
やっぱり期待するかなー、
と思ってしまう。







いや、違うか。


期待、、?
なんだろ。




『期待』だと少し違う気もする。




『そうあって欲しいと祈るような気持ち』
を持っちゃう、かな。





ここで、思い出したのが、芦田愛菜ちゃん。
(わたしの中では、「まなちゃん」なのー)


彼女が16歳だった2020年9月、
イベントで映画のテーマに合わせて
『信じることとは?』と問いかけられた時の言葉を思い出した。




彼女の言葉を書き起こした
ネット記事を引用させてもらいます。
↓↓↓

「その人のことを信じようと思います」って結構使うと思うんですけど、それってどういう意味か考えた時に、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっていることなのかなと感じます。だからこそ人は「裏切られた」とか「期待していたのに」とか言うけれど、それはその人が裏切ったわけではなくて、その人の見えなかった部分が見えただけ。

その見えなかった部分が見えた時に、「それもその人なんだ」と受け止められる揺るがない自分がいるというのが「信じること」なのかなって思います。

でも、揺るがない自分の軸を持つのってすごく難しいじゃないですか。だからこそ人は「信じる」って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかと思いました。

このエピソード
哲学的だと話題になりました。

すごくて、
かわいい♡


すごい✨
すばらしい✨


この時16歳。
それもすごい。



そうだ、
『信じたい』

『信じたい』が近いかもね。



『期待』と『信じること』



この2つの言葉のニュアンスは
似てるような、近いような気がする。



ここで『信じる』についても調べてみたら、
こんな解説を見つけた。
↓↓↓

「相手を信じる」ということは、自分が知らない相手も存在していることを認めること。 それでも、自分は大丈夫だと思えることだと思うのです。 そして「自分を信じる」とは、色んな自分がいること、他者の数だけ自分が存在していることを認めること。




ということは、
つまり、
ここまでのことを総括して考えると、

わたしは、
すきな人、大切な人にも
期待はしないでおこう、という結論になった。





なんだ、
やっぱりシェイクスピアの言う通りじゃないか。





だって、
期待とは、
実現するだろう、と望みつつ待つこと。
また、当てにして待つこと。



ならば、
わたしは、
大切な人に対してこそ、
勝手に思い描いて決めつけたりしたくない、
押し付けたりしたくない、
ましてや、あつかましくありたくない。




期待するのではなくて、

『そうあって欲しいと祈るような気持ち』

信じていたい。




もし信じていたのと結果が違っていても、
それは
その人の見えなかった部分を初めて見ただけで、
わたしにとってその人のことは◯なのは変わらない。



そこには
すきな人、大切な人に対する
『愛』、『リスペクト』があるから。




わたしはそうありたい。
わたしはそう思っている。
と、確認できました。




と、てんさい糖ビスケットのくまちゃん食べながら思った、2025・冬。

くまちゃん
じわる

















いいなと思ったら応援しよう!