【女子大生が一人でヒッチハイクで大分を目指して得たことは】
こんにちは!おしょうゆです。つい先日、昔の携帯の整理をしていたら、懐かしい写真が出てきました!!それがこちら。
埼玉県川口市から福岡県北区までヒッチハイクしたときの地図です。
これは今から4年前?かな?大学時代の大切な思い出です。
この時は大学卒業を目前にしながらももっと楽しいことしたい!人生変えたい!と思ってふと大分の友人の家に遊びに行くことを目標にしました。
そんな人生変えるつもりで行ったヒッチハイクでどんなことを思ったのか、当時書いていた日記を引っ張り出しながら書いていきたいと思います。
人生を変えたいの一心で
大学三年生で競技的にスポーツを続けることをやめる決心をしてからは、特に何もなくフラフラという生きていたように感じます。
やったことのないアルバイトをして、翌日を気にしないで飲みに行ってみたり、今まで自分でやったことがないことをひたすらやってみました。
自分がずっとあこがれていた生活を実際に体験して嬉しいはずなのに、なんだか心が埋まらないんです。そんなとき私は、
刺激が足りないんだ!!もっと今しかできないことをやろう!!
旅に出たら人生が変わるかもしれない。そう思って旅に出ることを決心します。この時は刺激に飢えていたような気がします、、。(笑)
いろんな人に出会ったよ
私は、川口の産業道路からスタートし、計8人の人と縁があり車に乗せてもらいました。専業主婦さんだったり、サーファーさんだったり経営者の方にも載せてもらいました。お偉い自衛隊さんに乗せてもらった時は色んな裏話を教えてもらったり、長距離トラックにから見る眺めは本当にきれいで一生忘れることはないと思いました。
少なくとも全く知らない赤の他人を密室空間に招き入れ、途中まで載せてくれるんですから。本当に優しい人ばかりでした。
載せてもらったのにもかかわらず、頑張ってねって言って差し入れをくれたり、ご飯をごちそうしてくれる方がたくさんいました。広島のパーキングで食べた牡蠣丼が死ぬほどおいしかったことを覚えています。
乗せてくれる代わりにちょっと遠回りして荷下ろしのお手伝いもしました。
わざわざ仕事の前に乗せてくれて仕事後にまた載せてくれた人もいました。
皆さん本当にありがとうございます。
しかし、この人との思い出は~とかここでこういうことがありました、なんていうのは私の中の思い出で、やったからこそ得られたものだと思っています。だから割愛。私よりももっとリアルタイムに書いていたり、乗せてもらった人たちに失礼のないように書いてらっしゃるヒッチハイカーの人たちはたくさんいると思うのでぜひ探して読んでみてください。(これがまた泣ける)
乗せてくれた人に言われた言葉No1
乗せてくれた方々ほぼ全員に言われた言葉が
女の子一人で珍しいねでした。
乗せてくれた人の中では、もちろん私を初めて乗せたたという人もいましたが、ほとんどの人たちが過去にヒッチハイカーを乗せた経験がある人たちでした。経験者の人たちは「男の子が一人、男女ペア、女の子2人組」なら見たことがあるけれど「女の子1人は珍しい」とのことでした。
両親はなんていって送り出したのか、危ないとは思わなかったのかなんて死ぬほど聞かれました。(笑)両親には止められるとわかっていたので姉にこっそり連絡を取り行きました。確かに危険だとは思うけれど世の中に絶対的安全はあるかといわれるとないでしょうよ!何なら私は今死んでもいいくらいの刺激が欲しいんじゃ!!くらいにしか思っていなかったんですが。(笑)
無事に福岡に着きました。
結論からいうと無事に何も事故することなく福岡に着きました。
福岡でも人を訪ねてから、高速バスで熊本へ行ってたしかソニックで大分入りした気がします。友人にもご両親にも会うことができて本当に大分を満喫することができました。楽しかったし、いいところだった・・・。
さて、私の話はここからです。
前置きは長くなりましたが、ヒッチハイクをしたことで私の人生は変わったのでしょうか。
私もヒッチハイクをすることを決めてから数々の記事を読んで参考にしたりしてきましたが、リスク管理面でのデメリットしか書いておらず、ヒッチハイクをしたことにより、こんなことがよかったですよ!こんなことが変わりましたよ!っていう良い一面しか知りませんでした。
デメリットではないけれど、人生を変えたいと思ってヒッチハイクを始めた私が実際にやってみて、終わったあとに書いたノートの感想欄を素直に書いていこうと思います。
ヒッチハイクによって答えを求めようとしすぎた
そもそも私は、旅をすることが好きで旅によって癒しをもらい価値観を広げられて生きています。私と旅は切っても切れない存在です。まだまだ行ってみたい・この目で見てみたいところがたくさんです。今回は旅とヒッチハイクは切り分けて話したいと思います。ヒッチハイクという行動をとることが私の人生を変えたかということです。
ヒッチハイクに行ったら価値観が変わる、人の温かさに触れて考えが変わったなんて本たくさん読んできました。確かに行かなかったら得られないものはたくさんあったけれど、ほかの方法でも得られるんじゃないかと思ったのも事実です。
どうしても車が止まってもらえないエリアもあって1時間以上キャンパス片手に立ち続けたときもありました。12月くらいに行ったので途中で雪が降ったり、雨が降ったりすることもありました。でも私にとってそれは人生を変えるほどの忍耐経験だと思ったら、過去にもっと苦しいと思ったことしたことがある気がしました。スポーツで怪我をした時のこと、チームメイトに必要ないといわれたときに比べたら(色々あったんです。笑)何とも思いませんでした。
だから、ヒッチハイクで人生が変わったかって言われるとそうでもなかったかもしれません。
話のネタにはなった
就職活動中や、就職してからのクライアント先の方、飲みの席などどこでも使えます。本当に使える。しかも面白おかしくちょっと盛ったりもできる(笑)しかもヒッチハイクで通った県出身の方とかだと話がさらに盛り上がります。そこからディープな地元トークとかになって次回旅行するときの参考にしよう!とかなります。会話が途切れずに話せたり、共通の話題があるのって人付き合いの中では大きいですよね。
結局は自分次第
結局はこのヒッチハイク経験をどうするか。だと思いました。
私は、人見知りもしないし、一人でサクサクどこでも行けます。私と正反対の性格だとヒッチハイクをするっていうことで自分に大きな影響を与えられるかもしれません。
私が、自分で人生を変えようと思ったのに必要だったのはもっと発信すること。私の学生時代に足りなかったものは圧倒的にこれです。
普段のバイトのことでも、付き合っていた彼女のことでも一人暮らしのことでも何でもいいんですけど、もっと発信しておくべきでした。
まぁその中でヒッチハイクはネタになりやすいだろうなっていうところです。(みんながやっていることでもないし、特に女性一人は珍しがられたため。女性目線の話ができたかもしれない。)
もうヒッチハイクしてからだいぶ時間が経ってしまってその当時の匂いや鼓動まではノートを見返すことでしか思い出せなくなってしました。とってももったいないことだな、、、って思っています。
私は国語が本当に苦手で文法を中国人の友達に確認するくらいでした。(笑)あとは、メカニックなことが苦手で編集とか執筆、SNSには無頓着だったこと。noteの存在はうっすーら知っていたくらいでした。
今の私からすると無料でここまでの素人の作品が皆さんに見てもらえる機会ができたなんて!!と思っています。若者よ!執筆すべき。
書くことにより自分を整理できますし、生きていることがネタ帳になるんですよ。自分の中では当たり前だと思った経験を書くことによって誰かのためになる。(かもしれない)
読んでいただいた人はどう思うかはわかりませんが、ヒッチハイクして楽しかったけど、そこまで人生変わらなかったなんて内容をのせてもいいんですよ。(笑)
そんな記事を読んでくれたあなたへ。あなたの人生はあなた中心にあなたでしか構成されません。基準こそ人それぞれですが、刺激的で楽しい人生がおくれますように。