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君の声を聞かせて

この投稿は初回エントリ内で言及した、ソーシャルアパートの企画「シークレット・ライター#03」に匿名寄稿したものです。経緯が気になる方は前回を内容を見てみてください☺️

今回のエントリの趣旨説明

君の声を聞かせて


丸腰で人に自分のダイジェストを話すのは慣れている。割と簡単だ。
父親譲りの自己開示特性で、ある程度内容を叩けばいつからかそれなりの話は出来るようになった。

だけど、相手のことを"きく"のって難しい。
自分と他人の境界線があいまいで、まだ他人を諦めきれない自分には余計、難易度が高い。


連休中日でいつもより少し空いている通勤電車で、ふと考えた。
なぜ環境を変えるにおいて数多の選択肢から選んだのがソーシャルアパートメントだったのか、と。
結論条件が合ったからではあるのだが、踏み出したい目的があったことを思い出した。


私は、たくさんの「あなた」の声を聞きに来た。自分の声はもう聞き飽きたから。
雲をよけ世界照らすような、自分の中にはない想いを聞きに、私はここに来た。

だから心の姿勢はいつだって傾聴モードである。

自分がたまたまちょっと変わった道を選択したので、些細な世間話でも「訊かれる」逃げ場のない感覚を持ってしまい、他人と話しづらい時期があった。会話している相手のことが見えなくなるくらい怖かった。一体どこに答えに困るような地雷があるのか、自分でも分からなかった。おまけにコロナ禍で雑談の場がガクッと減ったことにより、余計に相手を知ろうとすること自体にセンシティブになった。そうするとすぐに孤独なわたしが出来上がってしまった。

また、自分がされて嫌なことは人にしないという解釈の広い家訓のもとに育ったので、「相手に訊かれる感覚を持って欲しくない」と思っていたら、いつの間にか当たり障りのない天気のことと、自分の話しか出来なくなっていた。決して相手に興味がないのではないが、手段が分からなくて、たくさん想いはあるのに踏み出せなくて、質問が、対話が出来ない自分が悲しくなった。


でも、私はあなたのことを知りたい。聞いて聞かれて、人と関わって生きていたい。


この家に住み始めると、たくさんの人が聞いてくれる。あれの場所どこだっけ?も、どんなことが好きなの?も。他愛のあるなし関わらず、日々たくさんのコミュニケーションが飛び交っている。最初は圧倒され戸惑ったものの、いつの間にか私も聞くことができるようになった。

そして、声を聴きたいと思う住人にたくさん出会うことも出来た。
相手のことを聴いている時、社交辞令ではなく、自分も心から話している感覚を持つ。

訊く→聞く→聴く。
コミュニケーションが進化している実感を持ちながら、今日も私は相手と対話している。

ぜひ、あなたの声を聞かせてください。


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