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お隣のパパさんが教えてくれた、ご機嫌に生きる上で大切なこと

連休最後の日よう夕方、出先からの帰り、バッタリお隣に住むパパさんと子どもたちに出会った。ちょっとだけ立ち話しする。ママさんが午後から仕事に行ったので、パパさんと子どもたちで寝るまでを過ごすそうだ。


「きょうの夕飯なんにするんですか?」
「ミスドです!」
ショッピングモール帰りのパパさんの手にはミスドの大きなBOXが。
「えっ・・・ミスド」
「今日はいいんだよねー」と子どもたちにニコッとするパパさん。


なるほど、夕飯にミスドか。
最初は夕飯ミスド?!と思ったが、時間がたつほどにジワジワと「夕飯ミスド」の良さが沁み渡ってきた。うらやましいな。朝、昼をママさんも一緒に過ごし、何かしらご飯も食べている。1日の1食をミスドにしたって何の悪いこともない。毎日生きてる中で、あれやこれやと栄養あるごはんを食べている。夜ごはんに、インスタントラーメンやマクドナルドのハンバーガーを食べることだってある。
「夕飯ミスド」だって変わらない。
むしろ、「夕飯ミスド」って嬉しい。わたしが子どもだったらメチャクチャ嬉しい。大人になった今でも「夕飯ミスド」は嬉しい。しかも大きなBOXに好きなドーナツいっぱい。好きなだけ好きなミスドを食べて寝る。明日から始まる学校や仕事や俗世に戻っていく前日の夜を、「夕飯ミスド」は優しく甘く癒してくれる。

ママさんが帰ってくるのは、子どもたちが眠りについたあと。パパさんとの夜の時間を無理なくゆっくり過ごすための夕ご飯。ママさんが留守の間、ごはん作りや片付けを任されることにプレッシャーやストレスを感じるパパさんもいると思う。
ママさんも同じだ。

明日から学校と仕事がはじまる。早めにごはん食べて、お風呂入って、学校の準備して寝なければと、ちょっと力が入っていた。それに加えて連休最後の日ようは「母の日」。なんとなく、なんとなく、いつもよりご馳走をつくらねば・・・と、ここでもじぶんにプレッシャーをかけていた。
ママが食べたいもの買ってきていいよということで、家族で散歩した帰りに一人でスーパーへ行った。国産牛肉とネギトロ用のマグロ、カニサラダ用のちょっとイイカニカマを買って帰った。わたしが食べたいものをじぶんで作る母の日。
夕飯は肉じゃがと手巻き寿司じゃ〜!と意気込んでいた。
3月の引越し以来、家でもメスティンでごはんを炊いている。お米を炊くのひとつにも、お米の音を聞くために火加減に気を配る。さあ、連休最後の夕ごはん、外で遊んでばかりだったから、今日のごはんはガンバるかと思っていた。

そんなところでお隣パパさんに出会った。
「夕飯ミスドです」、とニコニコしている姿を見て、完全に肩の力が抜けた。

明日に備えて早く寝たいと考えているのに、わざわざ手の込んだ料理をやろうとしているわたし。母の日に、じぶんが食べたいものをじぶんで作る・・・という謎のミッションをじぶんに課して。
明日に備えてゆっくりしたいなら、今日は手抜きしていいじゃない。できあいのものを食べて、片付けもラクしたらいいじゃない。わたしがご機嫌でいることが家族のご機嫌にもつながるはずだ。手の込んだ料理を作って食べて、美味しい〜となるだろうけど、片付けをする頃には疲れているだろう。寝る時間から逆算して、ピリピリっと動いているのだろう。
こういうところだな。
わたしが学べるところはこういうところだ。
会社で働いている時から、頑張り過ぎるな、もっと手を抜いていい、もっとサボっていい、との声をもらってきた。いくら言われても、頑張り過ぎない方法がわからなかった。サボり方がわからなかった。
でも、昨日わかった気がする。

「こうしなければ」という頭の根っこにこびりついている”じぶん”に気づこう。

「こんな日もあっていいんじゃない」を意識的に増やそう。

そして何より、ラクすることは楽しむこと。
その日一番やりたいことに時間をつかおう。

お隣パパさんからの学び


夕方、娘のコリスとうちのパパさんがお隣に遊びに行った。
そこで同じく、お隣パパさんから「夕飯ミスド」と聞いて驚いていたうちのパパさん。昭和の九州男児で私から見たらずいぶん古風な考えの持ち主だ。わたしが会社員時代、保育園お迎えからの夕飯に冷凍チャーハン、冷凍餃子を出してキレられ大喧嘩したこともある。もちろんパパさんもその日虫の居所が悪かった。

そんな昭和九州男児パパさんが、いつものスーパーへお酒の買出しへ。
じぶんのお酒とお惣菜のおにぎりとサンドイッチを買ってきた。

・・・今日はたくさん買い物もして、肉じゃがと手巻き寿司を作ろうとしているところだったのに。ちょうど、ごはんを炊こうとメスティンを火にかけるところだった。今日に限ってなぜお惣菜を買ってくるんだ、わたしの心は少しムッとなった。

パパさんに話を聞くと、お隣パパさんの「夕飯ミスド」を聞いて、パパさんも力が抜けたそうだ。明日に備えて早く寝たいし、うちもこれでいいかな〜と思ったと。

せっかく作りかけたごはん・・・でも、うちのパパさんの思考も変わろうとしている。わたしも思考を変えるチャンス!

「よし、今日は買ってきてくれたおにぎりとサンドイッチと肉じゃが食べよう。
明日ごはんを炊いて、手巻き寿司にしよう。」

じぶんが無理してがんばらないってこういうこと。

パパさんがお惣菜を買ってきたのはわたしへの助け舟。それを素直に受け入れ甘えよう。今日アレコレがんばって作らなくっていいとのメッセージ。昨日までのわたしなら「せっかくごはん作ってたのに・・・」とグチってしまっていただろう。パパさんも気持ち良くないし、わたしも後片付けに追われることになる。バタバタピリピリを全身から醸し出し、子どもを急かして眠りにつくことになっただろう。

夫婦二人でお隣パパさんの考えに触れ、それに思考を巡らした結果
「たまには夕飯ミスドってのもいいよね!」
という共通の認識を持てたことはうちの夫婦にとって大きい。なんだか久しぶりに仲良し度がアップした気がした。子どものことに関して、わたしの働き方に関して、夫との考え方が合わず対立することが多かった。昨日の「夕飯ミスド」については、お互いが「それもイイか」と思えた。これを「歩み寄り」っていうのだろう。口で言うのは簡単だけど、体感してやっとわかった。

わたしの頭の中でTO DOリストが作動するとき、「それ、なんでやるの?」とじぶんに確認しよう。本質を見失わないために。
夕飯つくり、なんでやるの?
ごはんをがんばってつくることが目的ではない。
ごはんをみんなで楽しく食べれたらしあわせなのだ。

凝ったごはんを作って食べるのもいい。そんな日もあれば、そうじゃない日もあっていい。どうすれば、みんながご機嫌に過ごせるかを考え、話し合って決めたらいい。

ついつい「こうしなければ」「こうあらねば」思考が作動しがちなわたし達夫婦に、お隣パパさんの「夕飯ミスド」は、大きな学びを与えてくれた。
いま無性にミスドを欲している。
夕飯はミスドにしようかな。

こんな感じでこれからもっともっとご機嫌に生きていこう。
ありがとう、お隣のパパさん!






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