クリスマスに、サイゼリアで辛味チキンを食べながら考えたこと(放談)
お腹が空いてきた、そろそろお昼だ、何食べよう?
ヤマダデンキに用がある。その足で何か食べて、公園行って遊んで帰ろう。
わが家のクリスマスの予定が決まった。
何を食べるのか、家族で意見が割れる。そんな時は、ラインナップ豊富なファミレスだ。ジョイフルを目指していたのに、久しぶりに目にしたサイゼリアの五文字に誘われ、あっさり方向転換した。
クリスマスのサイゼリア、お昼時だが空いている。
メニューを見ながら、あれもこれも食べたくなる。お腹が空いているのだ。
右へ左へ目移りしていると、コリスが「ママ、トイレ行きたい」という。先に注文しておきたいが、トイレに行きたいコリスを待たすわけにもいかない。「注文しとくよ、行っといで」と夫に言われ、コリスをトイレへ連れていく。
テーブルに戻ると、既に注文は終わっていた。あんなにワクワク目移りしながら何を食べようか考えていたのに、自分では決めることができなかった。
ショック、でもお腹空いた、気持ちを切り替える。
辛味チキン、カリッとポテト、エビグラタン、ミラノ風ドリア、ボンゴレがやってきた!
もう、それだけで大満足。
みんなで好きなものを取り分けて食べる。
「ああ、うまい!」
「おいしいね」
黙々とポテトを頬張るコリス。
うまいうまいと辛味チキンにかぶりつきながら、ふと思う。あれ?
昨日は一蘭のカウンターでラーメンを食べながら、カウンターの美学について考えていた。カウンターが良いのだと…。今日はサイゼリア、普通のテーブル席で、家族みなが美味しいおいしいと言っている。もしかして、また、心一つになれているのではないだろうか。
ケンカばかりをしてきた夫婦が、こうしてニコニコ笑顔でご飯を食べれていることを素通りできず、つい、いろいろ考えてしまう。
一蘭のカウンターじゃなくても、美味しいものをみんなで食べていれば、わが家は平和なのだろうか。
そもそも美味しいものってなに?
サイゼリアは美味しいけれど、一蘭だって美味しいけれど、何を食べるかは、さほど関係ないのでは?
いつも決まって、みんなでお腹が空いている。
家族3人で空腹を味わい、
そして、一緒にご飯を食べて、ウマイと言う。
ただそれだけのこと。
一つ屋根の下に暮らしながら、それぞれの環世界を生きている。お互いをわかり合うことはできない。
お互いを分からないからこそ、違う人間どうしが、体験を共にしたときの、お互い気持ちを分かち合うことに意味があるのかもしれない。
家族の外にも、共同体験の場はあるけれど、一番身近な共同体験が、家庭での食事の時間なのかもしれない。子どもは、家族の食事の時間を通して、共同体験を学んでいるように感じた。
ウマイも不味いも、味が濃いも薄いも、人それぞれの味覚や好みの違いを知り、共にウマイ!と喜びを分かち合うことの楽しさを知る。
そんなことを考えながら、ポップコーンシュリンプと、柔らか青豆とペコリーノチーズの温サラダを追加注文した。
美味しい〜とごはんを食べている人の顔を見るのはしあわせだ。美味しい、を共にするのは、とても大切な体験だと思う。
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