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環境の変化に伴う抑うつ(あるいは「あの選択、この選択」)
(い)大学入学
高校までの「勉強さえできればいい環境」から、大学生としての「自由と選択の環境」へ。環境の変化に伴って(不適応によって)、抑うつになることは必然的であったのだろうか?
最初の発端は、入学してすぐに行われた学部の茶話会でのことであった。この茶話会は、新入生歓迎を目的に開催されたもので、新入生と在校生がざっくばらんにおしゃべりをして親睦を深めることが企図された。僕は中学・高校とクラブ活動をやっておらず、またクラス活動にも積極的に関与していたわけではなかったので、こうした茶話会に参加するのは生まれて初めての経験だった。
正直始まる前から嫌で、嫌で仕方がなかった。僕の意識は「この茶話会をどう楽しむか」ではなく「この茶話会をどう乗り切るか」であった。それ故必然的に、この茶話会の僕以外の参加者(僕以外の新入生と在校生)は僕にとって、この時点ですでに、「これから学園生活を共に送る学友」ではなく「エネルギーを使って相対しなければならない敵」として考えられることになった。
実際茶話会はひどいものだった。「今まで生きてきた中で思い出したくない出来事トップ5」に確実に入る惨劇だった。今でも突然その時の情景がフラッシュバックし、発狂することがある。1年生・2年生の頃は、茶話会が行われた大教室はもちろんのこと、××××学部棟それ自体にすら近寄れなくなった。茶話会で自分の醜態を目撃した××××学部生とばったり会ったらどうしようという恐怖が拭い去れなかったのだ(「自意識過剰」の病)。まさに、トラウマとなっている出来事である。
では具体的にこの茶話会で僕がどんなおぞましい出来事を体験したのか以下記す。
①会話の輪に入れない
②独りぼっちになってしまう
③優しいひとが輪に入れてくれる
④なんだか自分が下に見られているようで恥ずかしい、傷つく
⑤なんとか集団(輪)の中での自分のプレゼンツや威厳を高めるべく気の利いたこと言おうと頑張るがうまくいかない
⑥集団(輪)の中で孤立する
⑦集団(輪)から逃げ出す
ただそれだけのことである。しかしそれは肥大した僕のプライドにとって耐えられないことだった。或いは、現時点で僕はこの体験を以上のようにしか言語化することができない、とでも言えようか。とにかく僕はこの体験によって、自分の対人関係構築能力の無さを痛感させられ、木っ端みじんに自尊心を破壊され、どうせ大学では友達などできないだろうという諦念を植え付けられたわけである。結果サークルの新歓にはほとんど行かず(「行っても学部の茶話会の二の舞だ」という感覚)、如何なるサークルにも所属しないことになった。
今現在やりたいことをコンサマトリーに楽しむわけでもなく、将来の目標に向かって突き進むわけでもない。どちらも「やらない」し「できない」ことがはっきりした僕にとって、日々の恐ろしくつまらない授業は出席する価値があるとは思えなかった。加えて言うと、教室で学部の同級生と出会うのが怖かったというのもある。僕は4月の時点でもう大学には何も期待しないことにした。それに加えて、自分のこれからの人生にも何も期待しないことにした。はやく××××なと思った(おそらくこの時期僕は「病気」だったのだろう。)
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(ろ)大学卒業と就職
大学生としての「自由気ままに生きられる生活」から、社会人としての「他者からの期待に応え、自分の価値を不断に示し続けることを求められる生活」へ。
自由気ままに生きることに失敗した人間(=大学生活に乗れなかった人間)に進路選択(就職・院進学)を問うことは、九九をマスターできていない劣等生に1次方程式を解かすぐらい酷なことか?
ついに最終学年の4月になった。進路を決めなければならない地点だ。具体的に言えば、就職活動に勤しむか、院進学のための勉強をするかの選択を迫られる。
たいていの学生にとって、この地点は、それまでの気楽な学生生活に比べて困難なものを感じられ、ゆえに鬱々とした気分になるものなのだろう。しかし僕は逆に、大学入学以来最も生き生きとした気分にあった。なぜなら、×××××××××において××××××××××××××の面白さを感じ取り、そこに-ひさしぶりの感情ではあるが-やりがいを見出したからだ。ゆえに僕はこの時期、自らの××××××ことを目標に、様々な授業に能動的に参加することになった。将来のことなど全く考えずに、楽しく、そして有意義に学問に耽った。それは僕にとって、遅すぎた春だった。本当に遅すぎたのだ。
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結局その年の夏に再び抑うつに陥り、何年か留年したのち、失意のうちに大学を卒業した。
(は)転職
「適当に(流されるまま)就いた就職先」から「自分で選んだ就職先」へ。しかしそれは、「選択することの責任」を引き受けることでもあるのか?
新卒で入社した会社は大分緩い会社で、僕でもなんとか仕事を遂行することができた。しかし、生きることのモチベーションがないことにより、生活がどんどん荒廃していった。生産的な活動をするドライブが存在しないことによって、その日暮らしの快楽で時間を潰すことになり、人生の積み重ねが全くなくなってしまうことへの焦り。慢性的なうつ病状態を改善することは難しくても、せめて人間らしく振舞う動機があればよいのだが…。というわけで
転職活動→ゴールを明確にする
正直何のために生きればいいのか分からないが、顔も知らない世界の他者に援助を施すために、顔も知らない未来の他者に情報を残すために、頑張れるものなのだろうか?誰か具体的な他者のために(一方的な形であれ)頑張るのが、naturalな気がするがそれは誰か?
そうして僕は転職した。
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(に)薬
三環系抗うつ薬の「トリプタノール」から、SSRIの「レクサプロ」へ。抗うつ薬をきちんと服用するためには、副作用の弱さが必要だった。
隙のない「レクサプロ&メイラックス」の安心と安全のコンビに、死角はあるのだろうか。
別に転職したからと言って、抑うつが治るわけではない。とりあえず働きながら「トリプタノール」を飲むのは不可能なので、レクサプロである。
レクサプロは本当に副作用が少ない(「効果も薄い」とか言われがちだが、僕はしっかり効果を感じる。たとえ偽薬効果だったとしても健康になっていれば万事ok)。メイラックスと合わせて飲むとさらに効果マシマシ。
よく考えたら大学時代にトリプタノールを処方されたのは、「頭痛がひどい」という症状を訴えすぎたせいなのか。「抑うつ気味だ」なんて恥ずかしくて言えなかったのか。
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