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禅の道(18)禅寺に猫が似合うわけ
「禅寺には猫がよく似合う」——そんなイメージを抱く人は少なくないでしょう。静寂に包まれた禅寺の庭を、のんびりと歩き回る猫。そこで目にする猫の姿には、不思議な落ち着きと風格が漂っています。今回は、なぜ猫が禅寺に似合うのか、その理由を探ってみましょう。
1. 猫の「自然体」
猫は自分を飾ることなく、ありのままの姿で生きています。この姿勢は「無為自然」を尊ぶ老子や禅の教えと通じるところがあり、猫が禅寺にしっくりくるのも納得です。人間の気を引こうとせず、静かに佇む姿には、禅の「無駄な力を抜く」精神が感じられます。
2. 「今、この瞬間」に生きる猫
禅では「今この瞬間を生きる」ことが大切だとされていますが、猫もまた、目の前の瞬間に集中しているように見えます。のんびり昼寝を楽しんだり、何かに興味を持つと夢中で追いかけたり。猫は常にその瞬間を全力で楽しんでおり、その様子に私たちも見習いたいと思うことがあるでしょう。
3. 静寂の中の「観察者」としての猫
禅寺の静寂の中で、猫は一種の観察者のような存在です。人が坐禅を組んでいるときも、猫はそばでじっと見守っているような様子を見せます。猫の視線には何かを評価するわけでもなく、ただその場を受け入れる「無心」の姿勢が感じられます。猫が禅寺にいるだけで、空間が一層落ち着いた雰囲気に包まれるのです。
4. 猫のマイペースな姿勢
人間の生活にあまり左右されず、自由気ままに振る舞う猫。その姿は「自分の道を歩む」という禅の教えにも通じます。自分の時間を大切にし、他者と無理に交わろうとしない猫の生き方は、どこか禅僧のように思えるのです。
5. 禅寺の魅力をさらに引き立てる存在
猫が禅寺にいると、その空間に小さな命の温かさが加わり、心がほっこりする瞬間が生まれます。訪れる人々も猫の姿を見て、少し肩の力が抜け、自然と笑顔がこぼれるものです。猫は禅寺の「静寂」と「癒し」を象徴する存在として、そこにいるだけで寺の魅力を引き立ててくれるのです。
「禅寺には猫がよく似合う」という言葉は、偶然ではないでしょう。猫が持つ自由で自然体の姿勢が、禅の精神をそのまま体現しているからこそ、禅寺と猫は絶妙な調和を見せるのかもしれません。
私がかつて修行していた禅師様の寺は、通称「ねこ寺」として親しまれていました。猫が多いときには100匹以上もいて、修行僧が30人ぐらいでしたから、それはそれは大変でした。何が大変といって、その家の掃除です。ネコ当番を設け、エサやりや糞の始末、はたまた去勢手術や病気になったときの獣医さんとの連携、亡くなった子の埋葬などなど、ネコとともに暮らす厳しさと優しさを大いに学んだものです。
そんなときに出会った猫が「きなこ」でした。彼女はとても別嬪さんで、ほかの猫とは一線を画していました。いつも寺の寺務所にいて、ほかの猫たちとはかかわりを持たないような毅然とした、それでいて柔和な「お嬢様」でした。私のPCのキーボードに乗るのが大好きで困ったものです。
「きなこ」は来山されるお客さまの一番人気でした。まるでアイドルのように、常連さん以外には見向きもしませんでしたが、いわゆるツンデレで、フアンが順番待ちで膝の上に乗せていました。そのくせ媚びを売らない姿勢にますますフアンが増えるというありさまだったのです。
その彼女は私が修行寺を下山(あさん)した後に他所にもらわれていきました。その話を後日きいて深いやるせなさを感じたものです。立場が違えば必ず連れて帰ったと今でも思います。🎵~別れの朝、二人は~(笑)、いままでの感謝の思いを紡ぎながら、最後に膝上で彼女の髪(毛)を梳きました。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵
念水庵にも近々?猫さんがやってきます。
それまでに共に暮らす空間(庫裡と境内)の整備にはげみます。
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いっしょけんめい
「ひとつの作行に集中すること」
朋から忠告されました。
合掌