縄文時代1:日本の誇りとは?
縄文時代(約1万3千年前~紀元前300年頃)は、狩猟採集や漁労を中心とした生活を送っていた時代で、農業が主流となる弥生時代よりも前の時代です。この時代は、しばしば平和で安定した社会が続いたとされますが、最近の考古学的発見や研究により、縄文時代についていくつか新しい事実が明らかになっています。以下、縄文時代の特徴と共に、現在の知見を簡潔に紹介します。
1. 縄文時代は持続的な自然との共生が特徴
縄文人は狩猟、漁労、採集を中心とした生活をしており、定住する傾向が強まりました。彼らは森や海の恵みを受けながら、豊かな自然と調和した生活を送っていました。土器を使用し、保存食を作るなどの技術も発達し、持続可能な生活スタイルが確立されていました。
2. 「平和な社会」像の再評価
縄文時代はしばしば「平和な社会」とされてきましたが、実際には争いが全くなかったわけではないことが明らかになっています。研究者によれば、一部の遺跡からは暴力や戦いを示す痕跡も発見されています。特に頭蓋骨に損傷を負った人骨などが見つかっており、時折争いや衝突があった可能性もあります。しかし、全体的に見ると、大規模な戦争や紛争が繰り返された形跡は少なく、他の時代と比較して相対的に平和であったといえます。
3. 高度な文化と精神性
縄文人は土器、石器、装飾品などを精巧に作り上げ、芸術や精神性が高く評価されています。特に縄文土器は世界最古の土器の一つであり、複雑で美しい模様を持つものも多いです。また、土偶や石棒などの遺物は、豊穣祈願や自然崇拝、祖先信仰などに関連していると考えられています。これらは、縄文人が深い精神性や宗教観を持っていたことを示唆します。
4. 定住生活と集落の発展
縄文時代には、大規模な集落が形成されました。青森県の三内丸山遺跡はその代表的な例で、長期間にわたる定住生活の証拠となっています。これらの集落では、ピットハウスや大型の住居跡、集団墓地などが見つかっており、社会的なつながりや生活の安定が伺えます。
5. 縄文人の多様な食生活
縄文時代の食生活は非常に多様でした。狩猟による鹿やイノシシ、漁労による魚介類、さらには木の実や山菜、果物など、さまざまな食材を利用していました。特にクリやドングリなどの堅果類が重要な食料源であり、クリを栽培していた可能性も指摘されています。
6. 環境変動と適応
縄文時代は気候変動の影響も受けており、特に縄文海進(約6000年前)が顕著でした。この時期、海面が上昇し、沿岸部の生活環境が変化したため、縄文人は環境に適応しながら新たな生活様式を築いていきました。この適応力が、縄文社会の長い安定の背景にあると考えられます。
結論
縄文時代は、豊かな自然環境の中で持続可能な生活を送り、芸術的・精神的な文化を発展させた時代であり、相対的に平和だったとされていますが、一部には争いもあった可能性があります。最新の研究により、より具体的で多様な縄文人の生活や文化が解明されつつありますが、彼らの生活は自然との調和を重視し、持続可能な発展を遂げた点で、現代にも通じる重要な教訓を提供しています。
昨日までは「老子」を学んでおりました。その中で「自然との調和」や「持続可能な発展」あるいは「シンプルな生活」および「慎ましい平和」といったイメージが醸成され、わたしは直感的に「縄文時代」がその理想社会に近いのではないかとの思いを強く抱くようになりました。
今日からは、シリーズとしてこの「縄文時代」を掘り下げて考察を重ねていきたいと思っています。なぜなら日本の誇りとは何かと考えたときに、決して外圧によって私たちの根本精神がゆがめられてはならず、また様々な内外の圧力を受けても2000年以前からの悠久の歴史において、日本の独自性の根底にこの「縄文」が息づいていると感じるからです。
JHOMON、はるか昔に世界最古の文明があった。それは日本の誇りといわずして何と表現すればいいでしょう。現代の日本人は平和のなかで平和を叫びますが、さまざまな意見や主張を許容する国は決して多くはありません。政治や経済そして宗教によって自由が制限されている国の方が圧倒的に多い。
現実世界からみて奇跡的な国がこの日本に存在していた。東の果てに光の国がある。それは人々の理想社会だ。あの国のように平和な社会を築けないものか。中国はもちろん遠い西洋においてもその噂は伝わっていたのかもしれません。そうしたはるか大昔に想いをよせております。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵
青森県の「三内丸山遺跡」をふくむ「北海道・北東北の縄文遺跡群」が令和3年に世界文化遺産に登録されています。