
ふたりが一番、ひとりは二番。
サイの角のように一人で歩むことは善の道です。
志を共にできることは最善の道です。
孤独(ひとり)を楽しむ
人が何を言おうと気にしない。不遜ですが自己満足でいいと思ってます。このnoteにしてもページビューやフォローあるいはスキが大事な指標であることは存じておりますが、これを気にしすぎると本質(自分がほんとうにやりたいと思ってること)を見失うような気がしてます。
そもそも自分が満足できないような活動をする意味はありません。まず自己満があって、その上でいかに客観的に評価されるかを自分が自分で自分を査定し、生き様を見失うことなく、何かをそっと残していく。
うまくいえませんが、孤独はさみしくなんか少しもありません。かんたんにいえば、はっきり言って、楽ですし、楽しい。
お金も時間も生活も、だれにも縛られずに生きていければ上等じゃないでしょうか?これ以上なにを望むのか?
自分が目指す道を、だれにも邪魔されずに、ただ愚直に歩めるわけです。
孤独は最高じゃん、と心底そう思ってました。
友と(ふたりで)楽しむ
ところが「老後のビジョン」を立てたときに、ひとり生きていくよりも、仲間とともに何かを残していきたいと強く思ったのです。
それは親友の大いなる存在です。
大事な場面でいつも相談してました。
いっしょに旅をしたり、飲み明かしたり、無理を言ったり、泣かしたり、泣かされたり、笑い合って、話し合って、はたらき合って。
今、わたしの場合、友と参禅堂を建てる計画を話し合い、大工さんからの見積を待っている段階です。今週始めに連絡があって材木などの見積を取りまとめている最中とのことで、内心ドキドキワクワクです。
ひとりであれば、こんなこと考えもしなかったでしょう。
だれかと同じ目的を共有することは何より素晴らしいことです。
思慮深く、行い正しく、
聡明な伴侶を得ることが出来たならば、
あらゆる危険や困難を乗り越えて、
心喜び、正しく念じつつ、
ともに歩むがよい
まとめ
真のパートナーを求めて、気がつけばそこに在られたわけです。
なんや、あんたやったんかいな、やっぱ。
つらいときも、なやんだときも、うれしかったときも喜怒哀楽のさまざまな場面に「龍虎の関係」は存在しました。
それに気がつくかどうかです。
龍虎とは、仏法の守護神であり、互いに優劣のない二人の強者のたとえとされています。
↓友のすがたをイメージしました。


二人が一番 (水)

きょうもご覧いただきありがとうございます。
「ともにすわる」念水庵の自己満でした。