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禅の道(112)ハッピーエンド

スターウォーズ——「ジェダイの帰還」から学ぶもの

子どもの頃から、私はとにかくハッピーエンドの物語に心を奪われてきました。なぜかといえば、物語が最後に幸せで締めくくられると、それまでの困難や悲しみがすべて報われるように感じられるからです。もちろん、人生がいつもハッピーエンドで終わるわけではないと知っています。結果が望みどおりではないことなど、山ほど経験してきました。それでもなお、「最善を尽くして、最後は笑顔で迎えたい」という気持ちは、私の中から消えることはありません。

映画「スターウォーズ」シリーズの中で、私がとりわけ好きなのは第三作目(エピソード6)にあたる「ジェダイの帰還(復讐)」です。初めて観たのが新婚旅行中で、二人で札幌の映画館に足を運んだ思い出があることが一番の理由ですが、それ以上にあの物語の終わり方がとても印象深いのです。あの冷酷な姿で登場したダースベイダーが、最後の最後に文字通りスカイウォーカー、つまり“光”の側に帰還する──そのシーンは、私にとってかけがえのないハッピーエンドでした。そして、マスクを脱いだ素顔が、いまの私の友人にあまりにも似ているため、余計に強い感情を覚えます。

ネタバレになってしまいますが、その後に続く「スターウォーズ」シリーズもすべて観ました。けれども、私にとってはやはり、この「ジェダイの帰還」を超える作品はありませんでした。作品の良し悪しというより、私にとって特別な思い出が強く結びついているからなのでしょう。と同時に、やはり“本当の意味でのハッピーエンド”が描かれている物語にこそ、深く魅了されるのだと改めて感じます。

ところで、この“ハッピーエンド”とは、単に「すべてがうまくいく」という意味だけではないような気がします。「ジェダイの帰還」のダースベイダーが兜(ヘルメット)を脱ぎ捨てて、自分の眼でわが子をしっかりと見つめる──それは、自分自身の真実を見つめ直す行為でもあるのでしょう。最後に笑顔になれなくても、最後に報われなかったとしても、「今、自分はどう在りたいのか」という問いを日々において見失わないことが、人生をハッピーエンドへと導く鍵になるのではないでしょうか。

一日の終わりは、もしかすると人生の終わりを象徴しているのかもしれません。何を成し遂げ、何を得られたかは人それぞれです。でも、もし自分が「今日一日を精一杯生き切った」と思えれば、それは小さなハッピーエンドといえるでしょう。運命とは「命を運ぶ」と書きます。運が良いとか悪いとかにとらわれず、その“運”を引き受けながら、自分の意志でどこへ向かうのかを決めていく。そこに大切な何かがあるはずです。

何があっても、人生の最後は笑って終わりたい。結果がどうであろうと、そこに至るまでの選択や行動には自分なりの“最善”を尽くしていたい。そう願うからこそ、私たちは日常の中にハッピーエンドの精神を宿しながら生きていくのだと思います。ダースベイダーという存在は、まさにその力強いメッセージを私たちに投げかけてくれているように感じます。冷酷な仮面の下には、失われてしまったはずの温かな心が確かに残っていた。だからこそ、彼は最後にスカイウォーカーとして帰還し、“真実の瞬間”にたどり着くことができたわけです。

私にとって「ジェダイの帰還」の主人公は、やはりダースベイダーにほかなりません。自分の弱さや過ち、苦悩や絶望を越えて、最後に人間的な姿を取り戻した彼は、まさにハッピーエンドを体現する存在でした。人生にも、あんなふうに劇的な救いの瞬間が用意されているのでしょうか。正直、わかりません。しかし、それが叶わなかったとしても、私たちは常に“帰還”を目指して生きることができます。自分自身の真実へと帰り着く、その道のりこそがハッピーエンドへの歩みなのかもしれません。

今日という一日、一瞬一瞬が、小さなハッピーエンドの連続であればいい。そう願いながら、私は再び「ジェダイの帰還」を思い返します。ダースベイダーが自らの眼でわが子を見つめたあの尊いシーンが、いつまでも私の人生の指針であり続けるように。運命に身をゆだねながらも、自分の目で見極め、最善を尽くし、そして自分自身の帰還を信じる。そうありたいと、心から思うのです。

この曲はダースベイダーの愛別離苦を彷彿とさせます。

最期に「左様なら」


ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道


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