解説
以上が『道徳経』の全文となります。この経典は、簡潔かつ深遠な言葉で書かれており、様々な解釈が可能です。理解を深めるためには何度も読み返すことが推奨されます。
『道徳経』が全81章あるのは、多くの版や注釈書がそう伝えているからです。実際に81章ある理由については、以下の点が考えられます。
1. 完全数としての81
古代中国では「九」は特別な意味を持つ数字で、完全数(全てが整った数)と見なされていました。81は9の平方であり、さらに神聖で完全な数とされています。老子の教えを伝えるにはふさわしいと考えられたのかもしれません。
2. 組み合わせの完璧さ
『道徳経』は「道」と「徳」の2つの部分から成り立っています。「道」が1から37章まで、「徳」が38から81章までです。このように分けることで、内容のバランスと調和が取れていると考えられます。
3. 伝承と編纂の過程
古代の文献は、伝承と編纂の過程で章数や構成が変わることがよくあります。『道徳経』もその過程で81章に定まったと考えられます。
したがって、81章あることは単なる偶然や編集者の都合ではなく、何らかの意図や文化的背景に基づいていると考えられます。
第81章の日本語訳は以下の通りです。
第八十一章
信言不美,美言不信。善者不辯,辯者不善。知者不博,博者不知。聖人不積,既以為人己愈有,既以與人己愈多。天之道,利而不害;聖人之道,為而不爭。
翻訳
真実の言葉は美しくなく、美しい言葉は真実ではない。善良な人は議論せず、議論する人は善良ではない。知恵のある人は多くを語らず、多くを語る人は知恵がない。聖人は蓄えず、人々に与えれば与えるほど自身も豊かになる。天の道は利をもたらし、害を与えない。聖人の道は行為において争わない。
老子の中で、わたしは最後の章の最後の語句である「不争」こそが老子の命題であると思っています。世間では一般に競争が大事であると認識されていますが、これとは真逆の発想であり、仏教の八大人覚の不戯論に通じます。このことは、現代社会への強い警告に感じられてなりません。
念水庵